3年前、夏

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3年前、夏

「あと5分待って」  付き合って1年目の夏。  地元の小さな水族館に行った時、偶然行われていたキャンペーンで缶バッジを貰えることになり「コウテイペンギンとジンベイザメがありますが、どちらがよろしいですか?」と受付のお姉さんに訊かれた時もそうだった。 「ペンギンはかわいい。サメはかっこいい。これは長い戦いになるぞ……!」 「5分だよね?」 「時間は5分でも、精神的には10年なんだよ」  そんな謎理論を最後に、明日葉は口を閉じて動きを止めた。  ここから彼女の5分間の戦いは始まる。  明日葉曰く、何かの選択に迷った時はその選択肢を頭の中で並べ、そしてそれらを戦わせるそうだ。どういうことかは俺にもよくわからないが、そういうことらしい。 『決めるのは私じゃない。選択肢自身だ』  と妙に格好つけた風に言っていたのを思い出す。いや君だろ。  突然の明日葉のフリーズによって、受付前にしんとした空気が流れる。  ここでの一番の被害者はもちろん受付のお姉さんだ。「自分の迂闊な質問でこんなに彼女を悩ませてしまうとは……いや悩みすぎじゃない?」とでも思っているのか、とても気まずそうにこちらを見たり見なかったりしている。本当にすみません。 「……よし、こっちだ!」  5分後、彼女はジンベイザメの缶バッジを手に取った。  ようやく動きを見せた明日葉に、いつの間にか集まっていた他の客たちもほっと胸を撫でおろす。しかしここでの一番の功労者はもちろん受付のお姉さんだ。本当にすみません。   「ふふ、かっこいい」  貰った缶バッジを早速持っていたカバンにつけて、明日葉は嬉しそうに跳び跳ねるような足取りで入口ゲートへ向かう。かわいいな、と少し見惚れる。  そして、優しいな、とも。  こんな小さな選択にまで考える時間を割く彼女。  そしてその5分間は、とても優しい時間だな、と俺は思った。 「なあ明日葉」 「ん、なに?」  声をかけると、明日葉はゲートへ向かっていた足を止めて振り返る。  ふと、彼女がどうしてジンベイザメを選んだのか気になった。 「勝因は?」 「ペンギンがサメに勝てるわけなかった」 「ペンギンに謝れ」  
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