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今日、春
「あと5分待って」
イタリアンレストランでのランチを終えて。
俺の家のリビングでくつろぎながら借りてきた映画を見ている明日葉に「お祝いにケーキを買ってるんだけど」「え、やった」「ショートケーキとモンブラン、どっちがいい?」と訊いた今もそうだ。
そして俺は、彼女が絶対にそう答えることを知っていた。
「じゃあ考えてる間にケーキ用意してくるね」
いつものように選択肢を戦いを見守る彼女にそう言い残して、俺はリビングの扉を開ける。
彼女がじっと悩んでいる5分間。この5分が勝負だ。
急いで準備に取り掛かる。リビングを出た俺は、台所に行くフリをして隣の洗面所へ入った。
今日は俺たちが付き合い始めて4年目の記念日だ。
イタリアンレストランにランチに行ったのも「せっかくの記念日だから少しお洒落なところでご飯食べよう」という話から始まった。
ランチはお洒落に、夜はゆっくりと。それが2人で決めた計画だ。
しかしその裏で俺は1人、別の計画を練っていた。
洗面所の引き出しに隠していたものを、ひとつは左手に、もうひとつはポケットにしまう。鏡に映る自分を見て、簡単に髪型を整えた。そして短く息を吐く。
もうすぐ5分。さあ、正念場だ。
呼吸を整え、洗面所を出てリビングの扉を開けた。
「……よし、ショートケーキだ!」
5分間の戦いを終えて振り向いた明日葉は、俺が手に持っているものを見て目を丸くした。
「……あれ、ケーキがお花に?」
「ケーキは冷蔵庫で冷やしてるよ」
「あ、そっか。いや、え?」
混乱する彼女に苦笑しながら、俺は左手の花を渡す。彼女が迷わないように、赤い薔薇を一輪だけ。
まだ状況がよくわかっておらず戸惑う様子だが、彼女はぎこちなく差し出された花を受け取った。
そんな彼女に「明日葉」と呼びかける。
「俺は明日葉の優しい5分が好きだ。その5分を守りたいと思ってる」
右手をポケットに入れ、用意していたものを手に取った。
ベロアのさらりとした感触を指先に得る。
「でも、たまには一緒に世界を救いたいとも思ってる。――だから」
少しだけ息を吸う。
ポケットから取り出した小さなケースの蓋を開けて、両手で彼女に差し出した。
「俺と、結婚してください」
明日葉はしばらく動かなかった。
それから、じわり、と俺の言葉の意味が沁み込んでいくように。
彼女は少しずつ目を潤ませて、顔を歪ませた。
そして、その両手でゆっくりと大切そうに指輪の入った箱を包んで――。
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