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奥の館から持仏堂まで澄慧を呼びに来た常盤の方の侍女は、蓑を着ていた。さほどの距離はないはずが、その蓑は重たげに濡れ、雨脚の激しさを物語っていた。
「申し上げます。奥方様の御産が難渋しております。どうぞ澄慧様にお越しくださいますよう。」
切迫した侍女の口上に、澄慧は答えた。
「承知いたしました。して、取上(産婆)どのは、参られていますか?」
それに、侍女は瞬時黙ったのち、返答した。
「この激しい雨で、城の下では川が洪水をおこし、麓の町方に住む取上婆は城に上ることができませぬ。」
「取上どのが来られぬと――!」
澄慧は絶句した。出産には経験豊富な取上婆が産婦の側で差配するであろうと思っていたのだが、その取上婆もおらぬ中、人の出産を扱ったことの無い己に何ができようか。
だが、産婆が来られぬとあり呼びに来たのであるから、頼りない己でも行かねばならぬであろう。足利学校で学ぶため宿を借りていた百姓家で、牛と馬の産を手伝ったことがあるのみであるが。
「ともかく、奥方様のもとへ参りましょう。」
澄慧は、吾平が素早く用意した蓑を着こみ、薬籠を抱えて持仏堂を出た。
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