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◇
この男、名を藤原基頼という。
時は平安――貴族たちの間でとある遊びが流行っていた。
賀茂川の上流から常盤木落葉の葉を流し、それが目の前を通過するまでに与えられた主題で歌を一首詠むというものである。すなわち、一葉あたり約五分で考え出さなければならなかった。
常盤木とは常緑樹のことで、秋でなくとも新しい葉が生えるたびに古いものが舞い落ちるため常盤木落葉と呼ばれていた。
使われる葉は楠、椎、樫、橘と季節によって変わり、色や形の違う葉がゆったり川面を流れる様を鑑賞しながら歌を愛でる風雅な催しであった。
さて、基頼は平素はなかなかの歌人であったのだが、極度のあがり症と繊細さがたたって一度も歌を詠めたことがない。
そのたびに「あと一葉あれば素晴らしい歌を詠めたものを」と負け惜しみを言うので、仲間内から一葉殿とアダ名をつけられ馬鹿にされていた。
「口惜しい、口惜しい……十全な時間さえあればあのような輩に負けぬというのに……」
あんなことでは女の前でろくに恋の歌も詠めぬに違いない。きっと毎晩恥ずかしい思いをしているのだろうなどと陰口を叩かれ、そのたびに基頼はほぞを噛んで密かに枕を濡らしていた。
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