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高校のエンジ色のセーラーのまま、月子は慣れ親しんだアルバイトに入る。
年月の分、テナントビルはますます錆び付き、どす黒くなった。五年の間、このビルには学習塾やら、パソコン教室やら入っては、すぐに潰れた。ビルが悪いというより、この町自体、商売に向いていない場所なのかもしれなかった。
(ローズメディカル自体、いつまでここにあるか)
たまに月子はそんなことを思って不安になるが、扉を開けばいつも原田は忙しそうだったし、室内には山のように薬草がある。
決して暇ではない状況を見て、月子はなんとなく、ほっとする。
「お、来たか」
パソコンデスクに座っていた原田が、片手をあげた。
「月ちゃん、早速だけど、これ頼むよー」
パソコンから目を離さないまま、大きなビニールに入った、乾燥したクマザサを指さす。クマザサのティーバックを作る仕事だ。レンゲでクマザサを掬ってティーバックに入れる。一つのパックに二十詰める。ひとつひとつ丁寧にパウチしてゆくのが、このところの月子の仕事だった。
お店の中は様々な香りが混じっていたが、クマザサの澄んだにおいが一際強かった。
月子はカバンを置き、丸椅子に座って作業に入った。かたかたと原田がパソコンを打っている。うっすらと、耳に邪魔にならない程度の音で、洋楽が流れていた。
「宅配の人が来る時間まで、五十、頑張って」
と、原田は言った。
月子は忙しく手を動かしながら、はい、と答える。そして、「あの、実は、結婚することになったので、アルバイト、続けられなくなります」と、淡々と言った。
そして、あれ、返事がなかったな、聞こえなかったのかしら、と、月子は顔をあげた。
パソコンデスクの向こうで、原田が変な顔をして固まっている。月子と目が合うと「俺、今、耳がおかしかったみたい」と、呟いた。
「結婚することになったんです。学校も中退します。もう、外には出てこられないので、お仕事もできなくなってしまうんです」
はっきりと、月子は言った。それから、すいません、今までありがとうございました、と、付け足した。
「結婚って。月ちゃん彼氏いたっけ」
呆然としながら原田は言った。
月子はふるふると首を振り、「いいえ。突然の話なんです」と答えた。
ごく簡潔に、薔薇荘から花嫁打診の話が来たことを告げると、原田の表情が僅かに曇った。
その時、月子は、今まで漠然と抱いていた疑問が、ふわっと浮かんでくるのを感じた。
今まで原田は、町の人間ではないのかと思っていた。
でも、今の表情の変化からして、薔薇荘のことを、おそらく知っているのだろう。ということは、原田はやはり、この町の人間なのではないか。
「あの、原田さんは」
と、言いかけたが、月子の言葉を待たず、原田は「そっか、それは大変だね」と頷いた。その時には、原田の表情はいつもの陽気で忙しそうなものに戻っていた。
「で、いつ。月ちゃんいてくれたからずいぶん助かったんだけど、残念だなー」
あっさりと原田は言った。
月子は具体的な日を答えた。その間も原田の様子を観察したが、原田の表情からはもう、何も読み取れなかった。
「たぶん、いろいろあると思うけれど、なんかあったらいつでもラインして。携帯くらいは使わせてもらえるんだろう」
原田はパソコン作業に戻っている。
「なんかって、なんですか」
月子は微笑みながら言い返した。
「ほら、姑からのストレスで眠れないとか、あとは、子宝に恵まれたいとかさ、そういう、漢方の相談」
原田がそんなことを言うので、月子は思わずけたけたと笑ってしまった。
他の人が言えばセクハラになりかねないことでも、原田の口から出たら、軽いジョークのように受け取れる。
「いや、まあ、そういうのじゃなくても。いろいろあると思うから。いろいろ、ね」
不意に、原田の声に陰りが混じったーーような気がした。
月子はちらっと視線を走らせたが、ノートパソコンの陰になって、原田の顔は見えなかった。
「抱え込まないようにね。お母さんもいるから、俺なんかに相談することもないだろうけれど。まあ、いつでも連絡は歓迎するから」
原田はそれだけ言うと、もうこの話題には触れなくなった。
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