第一部 花嫁、純潔のまま屋敷に捧げられ

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 学校に着くと、どこからどう広まったか、もうクラスでは薔薇荘の話題でもちきりだった。  月子が明日嫁ぐこと、学校は今日で最後であることを、担任から知らされるまでもなく、学級全員が知っていた。  「緑野さーん、すごいじゃなーい」  今まで、話しかけられたこともない、クラスの中心グループから馴れ馴れしく声をかけられた。  「シンデレラガールじゃない」  「ねー、薔薇荘の人と、どこでどうやって知り合ったのよー」  「緑野さん美人だから、そりゃ見初められるわよねえ、いいな、いいなあ」  月子はあいまいに笑った。    薔薇荘は町で一番の富豪である。大きな敷地、謎めいた存在感。町にある小さな商店や企業のほとんどが、薔薇荘からの融資を受けている。  薔薇のお屋敷のお陰で、この町は成り立っている。  薔薇荘の森に近づいてはならない、等と恐れている反面、町の人々は薔薇荘に崇拝に似た憧れを持っている。狭い町の中しか知らない人々にとって、薔薇のお屋敷は、おとぎ話の城のようなものなのかもしれなかった。  その薔薇荘に、月子が嫁ぐ。    自分のクラスメイトが、薔薇荘の若奥様なのだと、折に触れて言いたい。それどころか、その若奥様と親しくしゃべっていた間柄なのだと、言いふらしたい。  級友たちの下心は見え透いていた。  「ねっ、ちょっと見初められたからって、天狗になっちゃって」  「笑ってばかりでなにも言わないじゃない、むかつくぅ」  「貧乏人が急に奥様になったって、うまくいくわけがないわよねえ」  さざ波が引くように、月子から離れていった女子が、ひそひそと喋る言葉も、ちゃんと届いている。  慣れていた。人には裏と表があるので、表面の楽しさや見栄えなど、大して意味がないのだと、月子は嫌というほど知っていた。  だから、どうということもない。ねちっこく探りを入れてきては、ガードを崩さない月子に手を焼いて離れてゆく人たちを、月子は淡々と見送った。  教室の隅で、猫のように目を光らせて、こちらを見ている彼女のことも、月子は知っていた。  クラスの中でみそっかすの安藤みかは、人だかりになっている間は、月子に近づかない。じいっと、見ているだけだ。  わらわらと騒ぎ、掌を返したようにもてはやす人たちよりも、みかの存在が、月子には痛かった。  みかが月子に近づいてきたのは、昼休みが終わるころだ。  窓際の席で弁当を食べ、ぼうっと頬杖をついていると、声をかけられた。    「おめでとう」  と、みかは言った。  月子は、怖いものを見るような思いでみかを眺めた。みかは浅黒い顔をにこにことさせ、感じよく、明るく振舞っている。  「ねっ、明日行くなら、今日しかないでしょ。約束していたピクニック、放課後、しようよ」  と、みかは言った。  月子は、みかの顔を見直した。急に、みかが懐かしく、大事な存在に思われた。  「バイト先、寄らなくちゃいけないから」  と、月子が言いかけたとき、みかは世にも悲しい顔をした。それで月子は言葉を飲み込むと「少しの時間だけど、じゃあ」と答えた。みかはにっこりと笑顔になった。  「わたしたちが友達になって、はじめて遊んだ、あの場所、覚えてる」  みかは三日月のように目を細くし、ぎゅっと月子の手を握りしめる。  「すごくきれいな、あの場所。素敵な森が広がっていて、たんぽぽが咲く野原が広がっているの」  今日は天気が良いし、夕暮れ時の野原は童話の世界のように素晴らしいだろう。  あたたかな風。  森から漂う、生き生きとした植物のかおり。  「薔薇荘の森には入っちゃいけないのよ」  さらりと月子は言ったが、みかはそれを、するっと素通りしたようだ。  「森じゃないわよ。野原で。わたし、コンビニでおやつ買ってくるから。記念撮影もしよう。最後に、思い出作ろうよ」  ねっ。  友達、じゃない。  安藤みか。  誰も話しかけてくれなかった幼い日々、ただ一人、月子に接近してきた少女。  遊ぼうよ、ねえ、一緒に。  ひょうきんな顔立ちに、人懐こい笑顔を浮かべて。  月子は、みかと一緒に過ごした日々を思い出した。そうだ、いろいろなことを話してきた。給食の時に机をくっつけて、気になる男の子の話を聞いたり。宿題がむつかしいので、頭を寄せ合って考えたり。  友達。    「そうだね、思い出作ろう」  と、月子は言った。  みかは少し目を潤ませて、こくんと頷いた。  (原田さんに、ラインを送っておかなくては)  離れてゆくみかを見送ってから、月子はスマホを出す。友達に、思い出の場所に行こうと言われたので、少し遅れます。すいません。  原田は忙しいのだろう、返信はすぐには来なかった。  月子はスマホをしまった。昼休みが終わる鐘の音が鳴り始めた。
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