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「絶対にあそこには、近づいては、なりません。二度と帰ってこられなくなるから」
月子が小学一年の頃だった。
同じ学校の、五年生の男子が行方不明となった。
町の歴史に興味を持ち、「カタコンベを探しに行こう」と仲間同士で遊びに行った先で姿を消した。
それが、薔薇荘の森の中だった。
森は広く鬱蒼とし、警察がどんなに探しても、子供の姿は見当たらなかった。
薔薇荘のお屋敷まで捜査の手が及んだが、もちろんどこにも、行方不明になった子はいなかった。
なにひとつ手掛かりがないまま月日が過ぎた。
それから町の人々は、ますます薔薇荘の敷地に近づくのを恐れるようになった。子供たちは、森に近づくことを固く禁じられた。
それでも冒険好きな子供たちは、ちょくちょく、魅惑の森に興味を持つ。美しい緑の世界。誰が言い出したものか、大昔の隠れキリシタン文化の跡地が、きっと薔薇荘の敷地内に残っているのに違いないという、当てのない噂。
森に入り込み、ちょっとしたスリルを味わう、肝試しのような遊びが一時期、流行った。
「絶対に駄目だと言っているのに・・・・・・」
鬱蒼とした高い梢。
自由にさえずる小鳥たち。
入り込んだ子供を閉じ込めてしまう、深い森の世界。
安藤さん。安藤さあん、どこ。
声を枯らして叫んでも、返事はない。
迷い歩き疲れて足はもう動かない。
安藤さあん。
ママ、ママあ。ママ。
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背中に冷たい汗をかいて、目を覚ます。
ああ、久しぶりにこの夢を見た。小学校時代の、かくれんぼの思い出。今になってまだ、こんな夢を見るなんて。
月子は息を切らして体を起こした。カーテンからは朝日が差している。
もうあと数日で、この部屋ともお別れだ。
月子はため息をついてベッドを抜け出した。見慣れたオレンジ色の掛け時計。これもあと数日で見納めとなる。
中退することが決まった高校。セーラー服を纏うのも、あと僅かだ。
壁にかかった、変なえんじ色の大嫌いな制服も、そう思ったら何だかいとおしくなる。
「月子、はやくしないと遅れるわよ」
台所から、母が呼んでいた。
悪夢の余韻に浸る暇はない。月子は急いでパジャマを脱いだ。
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