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幸い月子はすくすくと育った。
よそ者の子ということで、なかなか他の子供となじめなかったが、健康で賢く、なにより美しい少女になった。小学校にあがった時点で、月子は目立った。裕福なうちの娘がいくら着飾り、習い事をしようとも、並んで立てば、月子の気品には叶わない。
ほっそりとした姿。透けるように白い肌。
黒く豊かな髪は手間を割くために短くカットされた。
常に簡素な服装で、てきぱきと動く月子は、まるで童話から飛び出した妖精のようだった。
整った顔立ち、少し吊り上がりぎみの大きく澄んだ瞳。滅多に喋ることはないが、声は低く、柔らかである。
学習塾に通うこともなかったが、月子の学力は素晴らしかった。なので、中学の担任は、できればよい学校に上げたかったようだ。
「確かに、町の外の高校に出るには、ちょっと面倒なことがありますが」
家庭訪問や、三者面談で、担任は熱心に香に説いた。
「でも、変な話、緑野さんはもともと町の人ではないでしょう。たかが十数年住んでおられるだけですし、月子さんを町の外の高校に出すついでに、お母様も一緒に引っ越されるとか」
町は辺鄙な場所にあるので、進学校に通うには下宿しなければならない。
それでも担任は香を説得しようと試みた。
だが。
「お仕事がありますし、住み慣れた場所ですから。それに月子を大学にあげることは、できないので」
香は、決してこの町を愛してはいない。
月子が中学三年の時点で、まだなお、香をよそ者として白眼視する人は少なくなかった。
(引っ越したら良いのに)
と、月子も内心思った。今が最大のチャンスなのに、どうして頑なに町から離れようとしないのか、母親を不思議に思った。
そう、月子はいつも、どこかで、母をもどかしく思っていた。
その気になれば逃げられる檻に、なぜ、ずっと閉じ込められているのか。
「そうですか・・・・・・月子さんなら有名大学も目指せると思うのですが」
最後には担任も諦め、月子は、町の高校に通うこととなった。
中学の同級生のほとんどが、エスカレーターのように、町の高校に上がる。
外の学校に出るのは、一人か二人だけ。
「ねえ知ってる、渡辺君、進学校に行くんだって」
ひそひそと噂が囁かれた。
「渡辺君、よく行くよねえ。妹の真奈美ちゃん、犠牲にして」
犠牲にして。
その言葉の意味が分からないまま、月子は噂をスルーした。
町の人のものの考え方、排他的な行動を、月子は全く理解できなかった。そのうち理解しようとすることすら諦めた。自分とは違う人たちなんだ、自分はここでは異分子だから、話の内容が分からなくて当たり前なんだーー常に、月子はそう思っていた。
この町から出てゆくということは、自分の家族を「犠牲に」するということ。
何がどう「犠牲」なのか、ついに月子は知らなかった。月子は高校生となり、エンジ色の制服を纏った。香はヘルパーの仕事を続け、夜遅くに帰った。母は時折奇妙に酔いつぶれ、おかしいほどに陽気になる。そんなときは、極力話さないようにした。
誰よりも町から出たがっているのは、たぶん、月子だった。
しかし高校二年の夏に、その話は飛び込んできた。それは唐突で、なんの前触れもなく、その上、どういうわけでそうなったのか、説明すらなかった。
誰もが驚き、いろいろなことを勘ぐったが、月子も香も、理由など分からないのだった。
薔薇荘の長男の花嫁として、月子が指名されたのである。
「町の娘の誰よりも、月子嬢が相応しいとお考えですので・・・・・・」
雨漏りのする町営住宅の、泥にまみれた玄関に立つ、黒い留袖の女性。
大剛と名乗るその人は、薔薇荘の女中頭だった。
「数日後に参りますので、お返事を下さいませ。ぜひ、了承いただけますよう、奥様も、若様も、待っておられます故」
**
薔薇のお屋敷に入ったならば、もう二度と、森の外に出ることは許されない。
薔薇荘の花嫁は、一生、屋敷の中で過ごすもの。
「会えなくなるのよ、ママとも」
真っ青な顔で香は呟き、エンジ色の制服で呆然と立ち尽くす月子に縋って、くずれて泣いた。
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