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深夜にも拘わらず、すみはきっちりと身支度をし、隙がない様子だった。
バスローブを纏った月子の髪を乾かし、お茶を勧める。月子が落ち着くのを待っていたかのように、すみは静かに話し出した。
「実は先ほど、田村様の奥様が亡くなっておられるのが見つかりました」
かちゃん。
ティーカップをソーサに置き損ねて音を立てた。ゆらゆらと揺れる水面を、月子は眺めた。
田村氏の妻が、死んだ。
「森の中でお亡くなりでした。悲鳴が聞こえたので、屋敷の者が気づいて探しに行ったのです。見つかった時はもう遅くて」
森の苔の上で、目を見開いて亡くなっていたという、田村あい。
紐で首を絞められて亡くなっていたという。
あの絶叫は、危険を察したあいのものだったのだろうか。
(わたしは、その声を聞いていた)
ぞうっとして、月子はカップから指を離した。掌に残る温かなお茶の温度が、みるみるうちに冷えてゆく。
ふわりと白いレースのカーテンが翻った。真夜中だというのに、部屋の窓が開いている。
月子はお茶を飲むのをやめた。
すみはカップを下げようとしたが、彼女らしくもなく、ちょっと手を滑らせた。がちゃん、と派手な音を立ててカップが割れる。テーブルの角にぶちあたったようだ。
すみは、青ざめた。
「申し訳・・・・・・・」
「すみさん、大丈夫ですか」
飛びちったカップの欠片を、月子が拾おうとするのを、すみが慌てて遮った。ひとつふたつと破片を拾い集めていたが、「あっ」と小さく叫び、手をおさえる。
掌を切ったらしい。すみは顔をしかめながら、自分のハンカチで手を縛った。
「血が出たのではないですか」
月子はすみの手を取った。ベージュ色のハンカチは几帳面に折り目がついており、清潔である。今のところ、血の染みはできていなかった。
すみは微笑みながら月子の手を押し返し、残りの破片を拾った。
「申し訳ありません。掃除機をかけますね」
月子はベッドに腰かけた。
すみはいったん退室し、掃除機をもって戻ってくると、細かい破片を吸い始めた。まもなく掃除は終わり、部屋は元通り静かになった。
冬薔薇まつと、お付きのメイドの遺体は、まだ見つかっていないらしい。
(いつ見つかるのだろう)
急速に眠気を感じる。さっきのお茶に何か入っていたとしても、幾何も飲んでいない。これは単なる疲労だ。月子は疲れ切っていた。
ばたんとベッドに倒れこみながら、原田のことを考える。胸の奥が、なにかに掴まれたかのようにぎゅっと苦しくなった。
(原田さん、無事に逃げられただろうか)
「必ずまた来る」
と、彼は言った。そして。
ああ。
(スマホ。充電を)
どこに置いたろう、スマホ。
原田と自分をつなぐ糸のようなものだ。次の連絡のために、充電をしておかなくては。
「若奥様、ちゃんとお布団に入らなくては」
部屋に入ってきたすみが、囁いた。
ふわりと上に柔らかな毛布がかかる。安らかな眠りにおちながら、月子は最後の力を振り絞った。
「すみさん」
「はい」
洗い場に。
スマホの充電を。
とぎれとぎれだったが、伝わったはずだ。
すみは優しい声で「わかりました。安心してお休みください」と言った。
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