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冬薔薇まつと、メイドの田中かすみの遺体が発見されたのは、早朝のことである。第一発見者となったのは、まつの世話をするメイドの一人、笹木洋子だった。笹木はまつの介護の夜間担当である田中から引き継ぎがないことを怪しみ、早めに訪室した。そこで、空の布団を発見する。さらに、庭園の薔薇灯篭の根元の、儀式の間に続く隠れ穴が開いていることに気づいた。
「毎晩、まつ様は夜間担当者と一緒に儀式の間に出られ、マリア観音に白薔薇を供えられるのですが」
警察の事情徴収に対し、放心のあまり石のような表情になって、笹木は語った。
「今朝に限ってまだ戻っておられないなんて、おかしいと思いました。まあ、まつ様は時折、なにかを思い立ってはどこかに歩いて行かれたり、頑として動かなくなったりされることもあるので、田中が手を焼いているのだろう、くらいにしか思わなかったのです」
まさか、あんなことになっているなんてーー笹木は引きつりながら呟いた。
一方、田村夫人についてであるが、これについても警察は屋敷の人々を一人ずつ集め、一通り話を聞いた。
悲鳴が聞こえた零時過ぎ、どこで何をしていたか。それについてのアリバイの有無などを聞き取ったのである。
冬薔薇はるかと恵美については、親子でバルコニーで話をしていたが、悲鳴が聞こえたので恐ろしくなり、部屋にこもっていた、と口をそろえて言っている。
大宮孝は、友人である亨と話をしたかったが、亨が部屋から出てこないのでメイドをつかまえて話し込んでいる。なので、孝についてはアリバイがあった。
田村氏は、東屋で庭師と会っていた。話の内容までは言いたがらなかったが、アリバイはある。
冬薔薇夫妻は既に就眠しており、ただごとではない騒ぎに気付いたのは、ずいぶんあとになってからだったようだ。
月子もまた、警察に呼ばれて話を聞かれた。
原田のことを言うわけにはいかなかったが、面倒なことに階段で大宮と会ってしまっている。
「寝ていたのですが、なんだか庭が騒がしくて怖くなって、様子を見に玄関まで降りたんです。でも、やっぱり怖くなってまた戻っていったところで、大宮さんと会いました」
月子の説明はこれだけだった。
「これは、みなさんに聞いているのですが、田村夫人が森に出られた理由について、心当たりはありませんか」
泉森警部補である。
つい先日、月子と対面したばかりだが、ほんの僅かな時間の間に、ずいぶんやつれたと感じる。もともとほっそりしていたのが、さらに痩せて、目がますます大きく輝いていた。
(森の妖精だな)
短い髪の毛、白い衣服、細いうなじ。
黒い瞳は謎めいている。月子の表情はますます読みづらい。
「わかりません。お話ししたこともないんです」
と、月子は言った。
それもそうだろう、と、泉森は思う。
(この娘さんも災難なことだなあ)
と同情したくなる一方、
(しかし、この娘がここに来てから殺人が立て続けに起きているのだ)
とも、思う。
やはり、連続した殺人の動機の引き金になったのは、今回の結婚の儀ではないか。
「ところで、一つ困ったことがありまして」
泉森はおもむろに言った。
「実は、さっきから冬薔薇亨さんーーあなたの旦那様になられる方ですねえーーをお呼びしているのですが、お部屋からはなんの応答もない。お屋敷の中や庭を探しましたが、今のところお姿は見つかっていません」
月子は顔を上げた。流石にこわばった表情である。えっ、と問い返す様子は、心底驚いているようだ。
「やはりご存じない、と。それなら仕方がないので、部屋の扉を開けさせていただくほか、ありませんねえ」
泉森は言った。月子は仮面のように引きつった表情で「亨さん、どうしたんでしょうね」と言っている。そこには純粋な怯えがあった。
やはり、怖いのだ、この娘は。
それはそうだろう、見知らぬ薔薇荘に嫁いだ途端に、この事態なのだ。
泉森は、月子に部屋に戻って構わないことを告げた。月子は頭を下げると、ふらふらと出てゆく。
(この娘が殺人に関わっていると考えたくなるのだが)
キイバタン。扉がしまる。足音が遠のく。
部下たちは皆、月子を疑いの目で見ている。「なにかあるはず」という詮索で、月子のささいなしぐさや目つきを追っている。
(どうもーー違う)
煙草を吸いたくなり、泉森は立ち上がった。
その後、警察は冬薔薇氏から部屋の鍵を借り、亨の部屋に入った。
結局、冬薔薇亨は部屋にいなかった。ベッドには寝た跡すらなかったという。屋敷内、庭も再度探したが、どこにも亨はいなかった。
冬薔薇亨は、殺人事件と同時に消えた。
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