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月子は急ぎ足で白の部屋に戻った。
呼吸すら忘れていたのかもしれない。部屋に入った途端、ふらふらと眩暈がして、絨毯にへたりこんだ瞬間、しゅうと音を立てて息を吸い込んだ。
ふわふわとカーテンが舞っており、のどかな日差しが白い壁に差し込んでいる。気を取り直すと立ち上がり、震える手で扉の錠をしめた。
(誰も、信じてはならない)
ここ数日の間に、人が次々に亡くなっている。
安藤みか。緑野香。冬薔薇久美。田村あい。冬薔薇まつ。田中かすみ。
全て、月子が冬薔薇家に嫁ぐことが決まってから始まった。
(わたしは死神なのかもしれない)
ふらふらとベッドに座り込むと、顔を抱えた。母が亡くなった時に流した涙は、十分とはいえない。まだ自分の中に、淀んだ涙が溜まっているのを感じる。
全て流し切ってしまいたい。そして、おしまいにしたかった。
けれど、どうしても、月子はまだ泣くことができないでいるーーまだ、終わってはいないーー悲しみに浸る余裕が、今はまだ、なかった。
月子がもう少し感傷的な少女なら、この落ち込みから抜け出さないまま、だらだらと閉じこもっていただろう。
けれど、月子はそういう性質ではなかった。頭を抱え、目を閉ざしながら、次第に頭の中を切り替えた。重々しい恐怖や理不尽への戸惑い。それらを引きずりながらも、もっと理知的な方向に頭を働かせることに成功した。
(殺人には目的があるはず)
月子は目を閉じたまま考える。
安藤みかも、母も、どうして殺されなくてはならなかったのだろう。
(これが、もし同じ犯人の手によるものだとして)
月子はぎゅっと目を固くつぶる。
(どうして)
怨恨か。
いや、そうではないだろう。犯人が安藤みかに、どんな恨みを持っているというのか。
怨恨以外の動機として。
月子はつたない知識を総動員して考える。安っぽいミステリドラマなら、犯行の動機は、怨恨、お金、その他は。
(ああーー)
月子は目を開いた。
(何か、見られたくないものを、見られた、とか)
森の中。
カタコンベ洞窟の中。
庭の片隅で。
殺された彼女たちは、犯人が知られたくないことを、知ってしまった。
だとしたら、それは何だろう。
頭が痛くなってきた。
月子は立ち上がると、ティーテーブルのポットからお茶を注ぎ、一口すすった。それからはっと、晩の間に湯船に着け込んでいた、白い服のことを思い出した。
あの時点で血のりはすいぶん薄れていた。もし仮に、すみに発見されたとしても、まさか血痕を薄めているとは思われまい。
月子はバスルームを覗いた。水に浸していた服は、いつのまにか取りのぞかれていた。湯船は綺麗に洗ってあるようだ。
すみが、服を回収し、洗濯してくれたのだろう。
月子はバスルームを出た。洗面所に置き去りにしていたスマホを探したが、見当たらなかった。
もしかしたらと思って部屋を探すと、書き物机の上に、アダプタを取り付けられ、充電中の状態でスマホが置かれているのを見つけた。これも、すみがしてくれたのだろう。
(すみさん・・・・・・)
しみじみとしたものを感じる。
思えば、冬薔薇家に来てから、すみにずいぶん支えられた。
こまごまと心配りをしてくれる。すみがいなくなったら、自分はどうなってしまうのだろうとすら、月子は思った。
だが、何だろう。
月子の心の中で、ひゅうと流れてゆく、冷えた風のようなものがある。なにか、おさまりが悪かった。なにか、違う。
頭の中では青信号を出しているのだが、本当は危険を示す赤信号が輝いているような気がしてならない。
(考えすぎだ)
もわもわと込み上げる不安を押し殺しながら、月子はスマホを取り上げた。ちかちかと点滅している。おそらく、メールが来ているのだろう。
「護る者」からのメール。
(原田さん)
原田のことを思うと、場違いなほど胸が熱くなる。
「気を付けて」
と、ある。
何に気を付けよと言うのだろう。月子はメールを読もうとする。
原田は何かに気づいたらしい。警告のメールを寄越してくれたのだろう。早く読まなくては、と、月子は焦る。
けれど、本文を読む前に、突然、目の前がかすんだ。
レースのカーテンが揺れている。風が部屋に舞い込んでいる。
その時月子は、部屋にうっすら漂っていた、あの甘い、青臭いにおいにようやく気付いたのだった。
(ポットのお茶が・・・・・・)
ぐるりと世界が回る。
月子は絨毯の上に倒れた。
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