第四部 謎解きの花嫁、冬薔薇を手にし

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**  原田さん。原田さん。原田さん。  意識が浮上するに伴い、月子は自分の中で祈りのように繰り返される呟きを知る。  (わたしの側には、誰もいなかった。けれど、学校が終わればいつも、あの人が迎えてくれた)  ローズメディカルの、奥の席で。  どれほどその存在が自分の支えになっていたのか、今更のように思い知る。彼の存在自体が御守のようだった。  (本当に、御守だったのよ)  幼いころに迷った森の中で出会った少年。あれは原田だったーーと、月子は確信する。  あの時出会ってからずっと、原田の存在が自分にとって御守だったのだ、と、月子は思う。  だが、それに気づくのは遅かった。月子はついに意識を回復する。呆然と目を見開き、自分の体を確認した。仰向けに寝そべったまま、押し開かれたように体は広がっている。  手を挙げると、血のように赤い天井を背景に、白い肌が浮き上がった。手首には生々しく、握られて抑え込まれたときにできた内出血が青く残っていた。  「うっ」  原田さん、と心でもう一度呟くと同時に涙がこぼれた。  月子はもう、純潔ではないらしい。今さっき、奪い取られたばかりのものは、もう取り戻すことは叶わない。  一糸まとわぬ体を両手で抱えながらベッドから起き上がる。しかし、そこで見たものは、月子にすすり泣きの余裕すら与えてはくれなかった。  白の部屋だったはずだ。さっき、月子が仮面の人物に凌辱された時までは。  しかしそこは、何から何まで深紅に染まった部屋だった。色が違うこと以外は、まるで同じである。ティーテーブルや、花の踊り子の置時計に至るまで、何一つ白の部屋と変わらない。ただ、真っ赤なのである。  月子は天井を見上げる。赤い。  その時、月子は思いだしたのだ。  (婚前まで白の部屋を使用することができる。結婚した後は、赤の部屋に移らねばならない・・・・・・)  ということは、やはり月子は亨に純潔を奪われたのか。  いや、その言い方は正しくはない。亨は月子の夫となる人物であるから、これは正当な行為であるはずだ。月子はこれで、冬薔薇家の嫁となり、色の部屋を与えられたのだろう。  「そんな・・・・・・」  婚儀を行った後のはずである、初夜を迎えるのは。  もしかしたら、今回の連続殺人のためにおおっぴらな婚儀ができなくなったので、事実だけ先に執り行ったのだろうか。  それにしても、あまりにも勝手だと月子は思う。  文字通り、身一つの状態で、月子は赤い部屋の中心に立つ。泣きたい心を抑えながら、とりあえず何か纏うものが欲しいと思った。  部屋は、白の部屋と全く同じ状態であり、クローゼットの位置も同じだった。月子はそっとクローゼットを開いた。すると、赤色の服と下着が一式つるしてあった。  ブラジャーとショーツはレースでふちどられ、あどけないデザインである。服はサテン地の深い赤の、古風なドレスだった。さらりと纏うと、くるぶしまで覆う長さである。  スマホはどこだろう、と、月子は不安に思う。  あのスマホがなくては、原田と連絡が取れない。確か、さっき「気を付けて」というメールが来ていたのだが、本文を読む前にこんな事態になってしまった。  白の部屋に置き去りになってしまったのだろうか。    白の部屋にあったのとまったく同じ書き物机に近づくと、引き出しを開いた。月子は小さく叫びをあげた。  そこには、ちゃんとスマホが収まっている。震える手で取り上げたが、電源が入らないことに気づく。  「ああ・・・・・・」    電池が抜き取られている。  月子は呆然と、スマホを見下ろした。  (誰が、こんなことを)  使えないスマホを引き出しに戻した。  部屋にはうっすらと青臭い甘い匂いーー冬薔薇の香りだーーが漂っている。うっとおしい匂いだ、と、月子は思う。窓を開くと、一瞬目がくらむように思った。    自分は、どうかしてしまったのだと思う。  世界が深紅で染まっているように、見えるなんて。  実際、月子はどうかしているのかもしれなかった。窓から見える風景は、白の部屋から見たのとそっくりそのままなのだが、庭も森も何もかもが、赤く染まって見えた。  おまけに、窓から入ってくるはずの心地よい風は、いっさい感じられなかった。  淀んだ、甘ったるくてぬるい空気が部屋に溜まっている。ここにいるだけで、悪夢に侵食されそうだった。  「う」  月子は吐き気を覚える。  異様な事態を受け入れられないのだ。口をおさえながらバスルームに飛び込むと、トイレットで吐いた。  月子はあまりにも動揺していたので、バスルームの中は赤ではなく、白一色の仕様になっていることに、すぐに気が付かなかった。けれども、確かに、バスルームの中は赤くはなかった。  口をぬぐいながら顔を上げたときーーざああああああーー激しい水音が響いていることに気が付く。  すりガラスの向こう側で、誰かがお風呂を使っている。  ざ、ざあああああああーー。  「誰」  震えながら、月子は言う。返事はない。  ざあああああああ。  「誰なの」  月子はトイレから出ると、おそるおそる、バスの引き戸を開いた。    湯船が、赤く染まっている。  仮面の人がタイルの上に力なくひざまずき、片手を湯船の中に突っ込んでいる。蛇口からは水が怒涛のように流れ続け、湯船からは水があふれていた。  純白のタイルに、赤い縞模様ができている。  月子は一瞬、現実が信じられずに無言で立ち尽くした。数秒後、ゆっくりと息を吸い込むと、悲鳴を上げた。
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