第四部 謎解きの花嫁、冬薔薇を手にし

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**  「それにしても、あの仮面」  冬薔薇亨の遺体が「白の部屋」で発見された後、屋敷中の人間に話を聞いた。  さすがの泉森警部補も煙草がのみたくなってくる。いくら居心地の良いソファでも、座りっぱなしでは体がだるくなるというものだ。立ち上がるとのびをして、のしのしと応接間を出た。  通路には誰もいなかった。  メイドたちは台所に集まって怯えているだろうし、庭師など、使用人たちも怪しまれるのを恐れて行動に気を付けているのに違いない。  息子を失った冬薔薇夫妻は部屋に閉じこもっている。夫人の方は遺体を見るなり卒倒した。泉森が部屋までいき、ソファで寝ている夫人の横でなんとか事情徴収をしたのだが、嘆いていて話にならなかった。おそらく、未だに臥せっているのではないか。  元気なのは、客人ばかりである。  「亨君のことで話があります。僕が一番彼について知っているんだ」  と、興奮して話しまくった大宮孝のことを思い出す。大宮は事情徴収の順番をすっとばし、一刻も早く伝えたいとばかりに喋りまくった。  一見、友達思いで誠実な男に見えるが、どうも泉森は大宮が苦手である。唾をとばしまくってしゃべりたてる様子は、普段あまり人から顧みられない者にありがちな、承認欲求が覗いていたと思う。  「彼には恋人がいたんです。その恋人を心から愛しているので、今回の結婚は本意ではなかった。ですから」  大宮の熱弁が耳によみがえる。  「亨君がいきなり花嫁の部屋に突入し、無防備な彼女をベッドで・・・・・・ということは、考えられない」  大宮は、その点を強調していた。  「亨君がまるで‬けだもののような男であるかのような供述、僕は断じて許せない。彼はそんな奴じゃないんだ」  ふうと、泉森は息をつく。  陰気にシャンデリアが垂れ下がるホールを横切り、玄関を開いた。遅い午前の日差しが強烈に差し込み、一瞬、泉森は目を閉じる。さあっとさわやかな森の香りが漂った。  「あの仮面は」  冬薔薇亨は、緑の仮面を装着し、顔を隠している。  人前に出る時は必ずそうしている。理由は、幼い頃顔に傷を負ったからーーだという。  しかし、遺体の顔にはそんな傷は見られなかった。  優しい面立ちだったと、泉森は思う。  確かに発育不良らしいいびつなところはあったが、よく整った造りをしており、弱弱しくはあったが、マスクをとれば耽美な青年として、さぞかし見栄えがしたと思う。  つまり、顔に傷があるからマスクをしていた、という理由は嘘であり、本当の理由が存在する。  これについて、最も真実に近いだろうと思われる話をしたのは、妻を亡くしたばかりだというのに、悲しんでいるように見えない田村氏である。    「冬薔薇家にはもう一人息子がいる。警察なら、それくらいもうわかっておいででしょうねえ」  ソファに腰を下ろし、高々と足をくみ上げて、田村氏は言ったものだ。  「亨君はね、次男です。本来は後継ぎは長男のほうですが、長男がこの家を継ぐのを拒否したんですなあ。しかし、亨君は病弱だし、なにより気質が優しすぎるので、跡取りとしてはどう考えてもふさわしくない」  煙草吸ってもいいですか、と断ってから、田村氏は煙草に火をつけ、泉森の前でぷかあとふかした。  「旦那様も、大剛など古参の使用人共も、本心は、亨君に後をついで欲しくはなかったんだ。あの仮面は、いつでも『中身』の取り換えが効くようにと、強制的に着けられていたんだよ」  思えば亨君もかわいそうなこったなあーー田村氏は、煙草の煙と一緒にそんな言葉を吐き捨てたのだった。  冬薔薇家に出奔した長男がいることは、さすがに警察も把握していた。  冬薔薇雄志という男が、この町に在住しているのは調べがついている。冬薔薇の名を捨て、原田と名乗っているはずだ。  その長男は、ローズメディカルという漢方薬局を経営しており、主にネットで商売をしている。結構繁盛しているらしい。  「長男は家を捨てたが、血の縁は簡単に切れるわけがねえ。あいつだって、『アレ』を冬薔薇家から卸して町の奴らに流しているじゃねえか」  田村氏はここで、いきなり口が汚くなった。  「『アレ』の入手ルートに正規も非正規もねえだろうがよ、おまわりさん、そうじゃないかい。だって、『アレ』ですぜ。自分とこの長男が窓口になっているものが正規で、それ以外は非正規だなんて、そんな糞いまいましいルール、誰が認められっかよ」  原田雄志は、ローズメディカルで様々なハーブや漢方を販売していたが、その一方で、町の住民で「ソレを必要としている者」に、分けていた。  「ソレ」。  すなわち、冬薔薇である。  (この町は、昔から冬薔薇に支配されてきた)  穏やかな緑の庭園を軒下から眺めながら、泉森は煙草をふかす。  色とりどりの薔薇が咲き乱れる美しい庭。  さあさあと噴水の音が耳に軽やかだ。  通称冬薔薇は、薔薇によく似た植物のことだ。冬に開花し結実する。その種が神経に作用するのだ。  体に取り入れれば、憂鬱な心は突如晴れ渡り、体の痛みや疲労感、空腹に至るまで、あらゆる苦痛が消え去る。  麻薬の一種である。  いにしえの時代、貧困や戦火で苦しんできた人々が力強く耐え忍び、焼かれても奪われてもまた新たに田畑を開発し、生き延びてこられたのは、冬薔薇の力があってこそだ。  この地に冬薔薇をもたらした宣教師は、なるほど、神の使いだったのかもしれない。  しかし、時代は変わった。  現代において冬薔薇は、おぞましい麻薬であり、法律にそむく恐ろしい代物である。町の中でのみ許されるものである。町の外の者に知れたり、流れたりしてはならないのだ。    冬薔薇家が、冬薔薇を栽培し、生産している。  それは、町の人間の暗黙の了解であり、誰も触れてはならない秘密なのだった。  町の住民の中で、冬薔薇を愛用している者は多い。    ふと、泉森は思う。  月子は、もしかしたら、町の秘密たる冬薔薇を知らなかったのではないか、と。  月子の儚げな様子、しっかりと芯が通った瞳、困惑している表情。  月子の風情は、泉森がかつて学生時代、町の外に出ていた時に接した「外部の人間」と同じものだった。健康で、健全な人間。  (あの娘は、ここに来るべきではなかった)  泉森は空を見上げる。  淡い青が雲間から見えた。  月子は、冬薔薇家に来るべきではなかった。  否。  月子は、この町に来るべきではなかった。
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