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凶悪な殺人犯、月子は煙のように消えてしまった。
「一体どこに隠れているのかしら」
冬薔薇はるかはヒステリックである。部屋の中に閉じこもり、食事にも出てこない。そのため、使用人がルームサービスしなくてはならなかった。
食事を運んできたメイドに、フリルまみれの冬薔薇はるかが掴みかからんばかりに問いかけているーーねえ、まだ見つからないの、怖くて一歩もここから出られないじゃないのーーきいきい響く声は、開かれた扉から薔薇荘の中に不快にこだまする。
「まあ、隠れる場所には事欠かんだろう、ここは」
図書室のベランダで、煙草をふかしているのは田村氏だ。はるかのヒステリックな声は三階まで響いている。
殺人事件が続き、薔薇荘の住人たちは、缶詰め生活を余儀なくされた。逃げ場を求める客人は、図書室に集まり時間を潰していた。
ぷかり、と、田村氏は煙草を吐く。よく晴れた空に煙が溶けて消える。
実にさわやかな日なのに、敷地から出ることができないのは辛い。
「奥さんが亡くなったばかりなのに、悲しそうじゃないですねえ」
背後から、ずけずけと声をかけたのは、大宮孝だった。でぶっとした体形を、たっぷりしたサイズのポロシャツで覆っている。
田村氏はちらっと大宮を眺めた。田村氏は、他人には関心がなかった。
「月子さんが犯人だとは、僕は思えないんだけどなあ」
大宮はぶつぶつと言う。
「あんなに細い腕で、人を殺せるものだろうか。はかなげで、体調もあまりよくない感じがしたし」
「何言ってんのよ、女はみんな腹黒よ」
図書室の中から、愛想のない声で大宮のぼやきに反応したのは冬薔薇恵美だった。恵美こそ、姉が死んだばかりなのに、平然と雑誌をめくっている。
大宮はじろっと恵美を眺めた。
「ああいう綺麗なタイプこそ、なに考えてるかわかんないわよ。その点、あたしやお母様は分かりやすいから安全と言えば安全ね。あなた、大宮さん」
恵美は無遠慮な視線を大宮に向けた。
「覚えておいたほうがいいわよ。女は表面が分かりやすいほうが安全だってね」
ぷか。
田村氏が煙草を吐く。
大宮はため息をつくと、ベランダのさくに腕を乗せた。
その時、図書室の扉が静かに開いた。客人たちはいっせいに振り向いたーー面憎いほど図々しい態度を貫いているくせに、皆、どこかでびくびくしているのだーーしかし、そこに立っているのが、お茶のセットの乗ったワゴンを押す、メイドの河合すみであることを知った瞬間、皆は一斉に肩の力を抜いた。
なあんだ、メイドか。
皆は同時に、心の中で呟いた。
「お客様がたに、お茶をお持ちしました」
静かにすみは言う。
かちゃかちゃと穏やかな食器の音が響いた。図書室の中に柔らかなお茶の香りが漂う。甘そうなクッキーの皿もあった。
客人たちはわらわらとテーブルに集まった。
「まだ、若奥さんは見つからないんだろう」
田村氏の言葉に、すみは頷いた。目を伏せている。
月子の専属メイドであるすみは、やはり、今回のことで心を痛めているのだろう。
「皆様には、ご不便をおかけしております。必要なものはご用意しますので、遠慮なくおっしゃってくださいませ」
と言うと、すみは頭を下げて退室した。
「やっぱり甘いものはいいわねー」
恵美が、ぼりぼりとクッキーを頬張っている。
大宮孝も、一度に二枚取って、口に放り込んでいた。
皆、すみの目の下に辛そうな隈が出ていることに気づかなかった。
足取りが重たげで、全体的に疲れが目立っていることすら、誰も、気が付かなかった。
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