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(隠れる場所には事欠かない)
さっき、田村氏が吐き捨てた言葉である。確かにそうなのだ。この家は、隠れる場所には事欠かない。
(どこにだって行けるもの。どこからだって)
すみは、図書室を退室した。ワゴンを通路に置き去りにして、静かに歩く。
鍵をエプロンから取り出すと、白の部屋ーー誰もいない部屋だーーの扉を開いた。
冬薔薇亨の死体が発見された部屋である。警察はここに人が入るのを禁じている。
部屋は締め切られている。空気はよどみ、しいんと静まり返っていた。
すみはぐるりと部屋を見回す。
薔薇荘の造りは謎めいており、古参の使用人ですら、すべてを把握しているわけではない。ましてや、若いすみなどが。
ただ、使用人たちは話だけは知っているのだ。屋敷には、あちこちに秘密の抜け道がある。壁の裏に通路があり、カタコンベ洞窟に通じている。これは、はるか昔の名残らしい。
貧しい人々の心の支えとなった冬薔薇は、地下のマリア観音の元で配布されていた。隠れキリシタンという扱いを受け、長く排斥されてきた人々は異様に警戒心が強い。いざとなれば、人々はカタコンベ洞窟に立てこもる構えだったのかもしれない。
この地の人々にとって「外部」は敵である。
敵がいつやってきても良いように、この屋敷全体が要塞のように造られた。
この屋敷は、もちとん何回もリフォームされているが、基礎の部分は手が付けられていない。
だから、いにしえの秘密の通路は、未だに存在しているのである。
「白の部屋」は、初夜を迎えていない花嫁のための部屋だ。
人々の中から入念に選ばれた娘が、結婚の儀の前夜に屋敷に連れられる。
すみは、聞いたことがあるのだ。花嫁は、森から地下道に入り、カタコンベ洞窟を通って屋敷に入るならわしがあったのだと。
(この部屋は、洞窟に繋がっているのかもしれないわ)
すみは、そう直感している。
消えた月子は、その秘密の通路を通って屋敷の外に出たのではないか。
しかし、すみがいくら目を凝らしても、部屋のどこに秘密の扉があるのかわかりようがなかった。
ただ一つ明らかなのは、月子だけの力で、ここから脱出することはできないということだ。
誰かが、月子に手を貸している。それも、屋敷に通じる何者かが。
おそらく、その何者かは、すべてを見通しているのに違いない。すみは思う。
だけど、それでも構わない。
(だって、もう、何もかもが終わってしまったのだもの)
すみはバスルームに立つ。
冬薔薇亨の冷たい体が置かれていた場所。
ぽろりと、伏せたまつげから涙がこぼれた。
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