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その日、月子は何事もなかったかのように高校に行った。月子は一言も喋らなかったが、薔薇荘の花嫁に望まれた件は既に町中の噂になっており、学校でもそのことでもちきりだった。
「すごいわね、緑野さん」
「玉の輿ってやつぅ」
耳障りな囁きがさざなみのように広がるのを、月子はうつむき、目を伏せて感じていた。
「ねっ、ほんとなの、薔薇荘のこと」
小学校以来の友人、安藤みかが、昼休みに話しかけてきた。丸い、人の好い顔が紅潮し、まるで素晴らしいシンデレラストーリーを羨むかのように、月子を見ていた。
「本当よ。どうしてみんな知っているのかしら」
月子は静かに答えた。
田舎町は恐ろしいものだ。たとえ当事者が秘密にしていても、それを盗み聞いていたり、見かけたりした誰かが、たちまち噂を広めてしまう。昨日、大剛が月子の家を訪れた時も、近所の誰かが垣間見て盗み聞いていたのに違いなかった。
「うわ、ほんとなんだ・・・・・・」
安藤みかの声に、一瞬、鋭いものが混じったような気がした。
月子は注意深く、みかを見つめた。しかしみかは、屈託のない様子でほこほこ微笑んでおり、なにも悪意など見当たらない。気のせいだ、きっと自分は神経質になっているのだ、安藤さんの声が意地悪く聞こえてしまうなんてーーと、月子は思った。
「すごいじゃん。でもさ、学校中退するんでしょ。もう会えなくなっちゃうんでしょ」
矢継ぎ早に、みかは言った。
「それならさ、お嫁に行く前にさ、記念に一回、ピクニックしようよ。ほら、あたしたち友達になりたての時、行ったじゃない」
無邪気に、なんら思うところなどないように、みかは笑った。
「お屋敷の森の手前の草むらでさ。ブルーシート敷いておやつでも食べて、いろんな話しようよ。ねっ、少しの時間でもいい、思い出になるから」
**
安藤さあん、どこ。どこに行ったのぉ・・・・・・。
ざわざわ、ざわ・・・・・・。
**
月子は小学校四年生の頃に戻った。そして、また現実に返った。ここは、あの鬱蒼とした怖い森の中ではなく、平穏で退屈な高校の教室の中なのだった。
(あの時、なんで安藤さんは、わたしを置き去りにして、帰ってしまったんだろう)
目の前の安藤みかは、ますます楽し気に語り続けている。そうだ、持ってくおやつ、わたし作ってくるわ。こないだチーズケーキ作って成功したんだ。今度もきっと、上手にできると思う。
「分かった。じゃあ、わたしはポットにココアを作って持っていくからね」
と、月子は答えた。
そして、薔薇荘に嫁いだら、もう学校や、安藤みかとも完全に縁が切れてしまうのだと、他人事のようにぼんやりと考えた。
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