第一部 花嫁、純潔のまま屋敷に捧げられ

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**  田舎町にもコンビニはあったが、アルバイトを雇うほど盛況しているわけではない。  ファーストフードや食堂などはあったが、小遣い稼ぎの高校生はみんなバイト先を探していて、そういった手ごろなところは、だいたい縁故で埋まっていた。  月子は早い段階からアルバイトを始めている。中学では禁止されていたが、家の事情を担任に打ち明け、学校に許可を取ることができた。月子は苦労してアルバイト先を探したが、なかなか見つからなかった。募集の張り紙を見つけても、まだ中学生であることや、余所者の娘だということで、顔を見た瞬間に断られた。    「月ちゃん、お仕事したいなら、賃金が安くてもいいなら、一つ紹介するよ」  仕事を探す月子を憐れんで、香の雇用先のヘルパーステーションの事業主が助け舟を出した。世話好きなオバサン事業主である。母子がこの町に来てから世話をしてきたのもあり、月子のことを気にかけてくれている。  香の窮乏状態を知っているので、放っておけなかったのもある。  「ありがとうございます、大井さん」  月子は喜んだ。紹介されたバイト先は、駅前の廃れたビルの中で、一つのテナントにぽつんと入っている、漢方薬局だった。  「ローズメディカル」というしゃれた横文字の店名だが、ビルの表看板にも名前が出ていないし、暗く閑散とした建物の中に入って、鉄筋の階段の足元に並ぶさびたポストの中に、名刺がひとつ貼り付けてあるだけだ。  一切、商売っ気が感じられないくせに、「ローズメディカル」は営業していた。紹介されて、恐る恐る訪れた月子は、最初、ビルの中に漂うすさまじい薬臭さに驚いたものだ。  薬局は赤ペンキが剥げた階段を上った、二階にあった。重たい扉には、ポストに貼り付けてあったのと同じ「漢方薬局ローズメディカル」という名刺がくっついており、薄暗い建物の中に、扉の隙間から漏れるオレンジ色の穏やかな光が伸びていた。    「お、バイトの子ぉ。まあ座ってよ、今、どくだみ茶でも出すからね」  あの日、所見にも拘わらず、月子は原田に好感を抱いた。  それは原田の屈託ない陽気さや、さりげなく人を気遣う当たりの柔らかさのお陰でもあるだろう。月子は一目見て、「懐かしい、お兄ちゃん」という印象を抱いたのだった。  壁一面に薬草が詰め込まれた瓶が並び、床には低い台がおかれ、その上には梱包が解かれていない段ボールが積まれている。  子供たちには幽霊ビルだの、お化けが出るなど面白がられているテナントビル。その一角に、こんな場所があるなんて、思いがけないことだった。  (研究室みたい)  と、月子は思った。実際、アルバイトを始めてみて、やっぱりこの店には、研究所のような面があることを知った。  原田は年齢が読みにくい見た目をしていたが、近くで見ると驚くほど若かった。月子がバイトを始めた時点で、原田は二十代前半だった。その若さでーーこんなボロテナントビルはあったがーーお店を構えて商売できるということは、お金の工面について何らかのつてを持っているのだろう。最も、月子は原田にそんなことを聞いたこともなかったが。  店に来客は滅多になかった。  原田はもっぱら、インターネットで商売しているようで、デスクには常にノートパソコンが開かれている。  月子は放課後、アルバイトとして店に来て、原田から指示される通り、宅配便の伝票をボールペンで書いたり、シール機で薬草や茶葉をパッケージし、それを段ボールに詰めたりした。  毎日のように仕事があったから、それなりに繁盛しているのだとは思う。原田は常に明るく忙しそうだった。  (五年目、か)  中学一年の頃から始めたアルバイトだから、ずいぶん世話になったと思う。  高校二年生になって、月子はハーブ、薬草というものに対し、もっと深い知識が欲しいと思い始めていたところだった。植物の力は無限であり、人が想像している以上の効果効能が秘められているように感じる。  原田のように小さな店を持ち、自分でブレンドした茶葉を販売できたら楽しいだろう、という思いが芽生えかけている。現時点では、それを将来の夢と呼んでよいものか、月子には判断がつかない。  原田は東京の薬学部を出たというし、こういった仕事をするならば、大学に行かねばならないことくらい、知っている。それは到底、叶いそうもなかった。
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