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第一章 セイカツ
01.
朝。トユンは目を覚ますと眠気眼を手の甲で擦り、ぼんやりとした思考がクリアになるよりも早く木製の真新しいベッドから出た。床にきちんと並べられた靴を履き、窓に掛かったティッシュで出来た人形を引きちぎった。マジックペンで描かれたにっこり笑顔を浮かべる人形をベッド脇のゴミ箱に放り投げ、深緑色のカーテンを勢いよく開けると、窓越しから眩しい程の日差しが突き刺さり目を細めた。
「嘘みたいだな、晴れてるよ」
そんなことを独りごちると後ろを振り返った。並べられたベッドは三つあり、そのうち二つはもうもぬけの殻だ。一番窓側のベッドは彼の寝床であり、その隣はここにはいないもう一人の少年の寝床である。そして、一番奥のベッドで眠るのは彼よりガタイのいい漆黒の髪を持つ少年だ。まだすやすやと寝息を立て、楽しく奇妙な夢の世界を旅して回っていることが窺えた。
「おはよう、トユン。どうやらおまじないは本当らしい」
ガチャリと開いた扉の先からは、左耳に金色のイヤリングを下げている少年が姿を現した。射し込む朝の陽ざしに反射して、揺れるイヤリングは光を放っているように見えた。トユンはまるで目潰しでもされているかのような気分になり、その光が耐えがたくて顔を逸らした。「おはよう。ラン」
ランはイヤリングが太陽光を反射していることに気が付き、申し訳なさそうに人差し指と親指で摘んで揺れを止め、ベッドで眠り続けている少年に視線を投げかけた。
「その眠れるゴリラを起こしてくれるかい?」
「待ってよ、昨日は僕が起こした。今日はアンタの番だ」
「そこを何とか頼む、俺は今日調子が悪いんだ。飯がいつもより不味い」
「アンタの作る飯はいつだって不味い。それとも今日はゲロ以下なわけ?」
「失礼な奴だな」
ランが目を据わらせると、その態度が妙に可笑しく感じたトユンはケラケラと笑った。すると、その笑い声に反応して寝息を立ていた少年が体を捩らせた。四つの瞳が同時に彼へと向き、続いて少年が何とも腑抜けた声を洩らしながら瞼をゆっくりと押し上げた。
「よかった、ホシノ。今日は自分で起きてくれて」
ホシノは枕に頭を預けたまま滲む視界に映った友人二人を交互に見ると、大きな欠伸をして、目尻に浮かぶ涙をさっと拭った。挨拶には応えずに無言のままのそりとベッドから出ると、ふらついた足取りでランの方-扉へと歩いた。特に何かを言うこともなく、彼の脇を通り過ぎるとさっさと行ってしまおうとするホシノの後を二人は追いかけた。窓際に掛けられた人形と外に広がる快晴について、トユンはどうしても彼に伝えたいことがあったのだ。
「すごいよ!ホシノの言うおまじないが本当になった」
タンタンと軽やかな足取りで階段を降りるトユンとランとは対照的に、まだ眠気を振り払うことが出来ないホシノは重たい足取りで一階を目指していた。トユンの明るい声にも無反応を突き通すばかりである。ランは「あの人形を本で読んだことがある」と得意げな顔をして見せた。
「あれはテルテルボウズって言うんだ。あってるだろ、ホシノ?」
ランは自信満々な表情で知識を披露しながら前を行くホシノに問いかけた。「そうだな」とホシノは素っ気ないながらも漸く反応を見せ、二度目の欠伸を洩らした。その欠伸は後ろを歩くトユンにも伝染したが、彼はテルテルボウズというおまじないを初めて聞いた好奇心で頭がいっぱいになり、興味津々に目を輝かせた。
「あれは絶対に効くおまじない?」
階段を一階まで下り切ると、ピタリと足を止めたホシノは二人の方に振り向いた。眉間に皺を寄せたあからさまに不機嫌な面持ちに、トユンは何か間違ったことを言っただろうかとギョッとした。
「おい、そのバカ黙らせろ。おまじないは魔法じゃないんだよ。絶対効くかって?間抜けな質問するなら寝起きの俺に話しかけんな!」
声を荒げるとリビングとは逆方向(朝食のためにリビングへ行くものだとばかり思っていた)に曲がった彼にトユンは慌てて「何処に?」と問いかけると「トイレだよ!」と怒り任せの返答が返ってきた。ホシノの寝起きが最悪なことはこれまでの付き合いで理解していたため、トユンは態とらしく肩をすくめてからリビングのある右へと曲がり、部屋の扉を目指した。その隣を歩きながら、ランが演技じみた所作でやれやれと両肩を上げた。
「俺は何となくこうなることが予想出来てたな」
「アンタは天才だよ。ただし予知能力じゃなくて料理の腕がね」
ランの作る料理は史上最悪な味だと思っているトユン(実際には史上最悪な味ではないのだが、一般的な美味しい料理からかけ離れていることには間違いなかった)は皮肉を込めた言葉で返した。ランはムッとすると「お褒めに預かり光栄だ」と更なる皮肉を口にした。
「料理を一切しようとしない人間と、何にでもプロテインを混ぜる脳筋しかいないんだから!まったく、イカれてる」
「イカれてるのはアンタの作る飯の味だよ」
トユンの悪態にリビングに続く扉の前で二人は足を休めると、数秒間閉口して見つめ合ったが、やがて何事もなかったかのようにトユンはドアノブを回し、リビングに足を踏み入れた。
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