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島沢佳苗の場合
「チャンスよ、佳苗。」
英語のノートを写させてもらってると、ふいに頭上でそんな声がした。
「え?」
顔をあげると、幼馴染の『おーちゃん』が、あたしを見下ろしてた。
「チャンスって?」
「兄貴の居場所が分かったわ。」
「……」
おーちゃんの言葉に、少しだけ固まる。
「…彰ちゃんの?」
「そう。」
「どどどこ?」
「小森公園の近く。なんでも詩生ちゃんが住んでるマンションらしいよ。」
「小森公園の近く…」
「ま、頑張んなよ。事務所も一緒になったんだしさ、チャンス多いじゃん。」
「チャンスだなんて…そんな…」
「またまた。毎日弁当持ってってんだって?すごいねえ、愛の力は。」
「お…おーちゃん…」
あたし、島沢 佳苗は…一応、女優だ。
そして、この「おーちゃん」こと浅香 音は、幼馴染であり、親友。
さらに、彰ちゃんは、おーちゃんの兄で…あたしの、許嫁。
親同士がきめた許嫁だけど、あたしは昔から彰ちゃんのことが好きで好きでたまらない。
彰ちゃんは、あたしより二つ歳上の19歳で。
DEEBEEというロックバンドでギターを弾いている。
去年、高等部に入ったら一年間は同じ校舎、なんてはしゃいでたのに。
デビューしてしまったDEEBEEに、彰ちゃんのお父さまが。
「あ?学校?辞めちまえ。どーせおまえ、勉強なんてしねぇだろ?」
って…
それで、彰ちゃんは高校を二年で中退してしまった。
でも、今年の春に一人暮しを始めるって聞いて、耳を大きくしてたんだけど。
「兄貴って信じらんない。誰にも言わないのよ、居場所。」
あたしから見ると仲のいい兄妹であるおーちゃんにさえ、居場所を言わなかった。
寡黙な人だから、いまいちつかめないんだけど…
それでも、好き。
「あ、そうだ。」
おーちゃんが、ポンと手を叩いて。
「佳苗、今度のドラマで拓人と共演だったよね。」
「う…うん。」
「サイン、もらってきて。」
「えー…」
「お願いよお、ね?」
「んー…」
おーちゃんの頼みだ。
仕方ない。
本当は、そういうの苦手なんだけど…
「わかった。」
「ありがとー、佳苗。」
「いつもノート見せてもらってるし。」
「どんどん見て。」
おーちゃんがノートを広げまくってると。
「ずっるいな。」
あたしとおーちゃんの会話に、突然コノちゃんが入り込んできた。
「何がずるいって?」
おーちゃんがコノちゃんに食ってかかる。
「あたしがちょっとトイレに行ってるすきに、それだもん。佳苗、あたしにも拓人のサインお願いね?」
「ちょっと、コノ。あんた、佳苗に何かしてやってるの?」
「あら、イトコだもんね。そんな、貸し借り状態になんなくても。」
「も、いいから。わかった。わかってるから…ちゃんと、二人分もらってくる。」
あたしが二人の間に入ると。
「サンキュー。」
二人はニッコリ微笑んだ。
コノちゃんとおーちゃんは、美人だ。
歩いてると、いろんな男の子が声をかけてくる。
背は高いし、スタイルだっていい。
おーちゃんの両親は、共にバンドマン。
でも、おーちゃんは業界には全く興味がないらしい。
コノちゃんこと朝霧好美ちゃんは、兄・父・祖父がバンドマンという音楽一家で、あたしとイトコ。(コノちゃんのお父さんと、あたしの母さんが兄妹)
ややこしいんだけど…
コノちゃんのお兄さんである希世ちゃんは、彰ちゃんと同じバンド。
そして、うちの父さんとコノちゃんの父さん、おーちゃんのお母さんも同じバンド。
あたし達三人は、まさに…家族ぐるみの付き合いと言ってもいい。
あたしは…
せめて160cm欲しかったな…って思わせるほど特徴なくて。
顔だって、そんなにハッキリした美人じゃない。
なのに、なぜか女優をしてる。
とくに、今回はなぜかヒロインだ。
これぞ七不思議。
そもそも、あたしと彰ちゃんが許嫁なのは、父さんと彰ちゃんのお母さんが同じバンドにいることから話が始まる。
父さんがキーボードをしているそのバンドは、SHE'S-HE'Sという有名なバンドで。
なぜか、身内が多い。
そして、さらに身内を増やそうとしている。
「あとは、うちと島沢家だけね。」
これが彰ちゃんのお母さんの口癖。
そして、当然のようにおーちゃんにも許嫁がいる。
自他とも認める遊び人のおーちゃんは、いろんな人とつきあって。
「あんな、さえない奴、食えないよねえ。」
なんて言ってた許嫁、早乙女 園ちゃんと結構うまくいっている。
あたしは…
全然、片思い状態。
彰ちゃんは無口な人で、何を考えてるのか…わかんない。
あたしがお弁当を持って行くのを、事務所で黙々と食べてはくれてるけど…美味しい、とも…嬉しい、とも…言ってくれない。
別に、見返りを期待して作ってるわけじゃないけど…でも、やっぱり少しは反応が欲しい。
彰ちゃんは…あたしのこと、なんて思ってるんだろう。
手もつないだことない。
一緒に歩いたこともない。
こんなので…許嫁だなんて…
「ね?佳苗。」
「…え?」
ふいに、おーちゃんの声で我に帰る。
「もう、聞いてなかったのぉ?」
「ごめんごめん。」
「拓人に、美人な友達がいるって売り込んどいてねって言ったの。」
「…園ちゃんがいるくせに。」
「別に、いいのよ。あんな奴。」
「…ケンカでもしたの?」
「も、最低。捨ててやるんだ。」
「……」
こんなこと言いながらも。
おーちゃんと園ちゃんは仲良し。
いいなあ…
ケンカできるほど仲良くて。
「あたしには、そんな許嫁とかいないからね?」
コノちゃんが、笑顔であたしに売り込む。
「嘘付けー。」
おーちゃんが、逆襲。
「何よ。」
「まあまあ…いいから。」
「あ、あんた時間ないよ。」
おーちゃんが机に頬杖ついて時計を見た。
「え?あ、本当。ノートありがと。」
「うん。じゃ、頼むねー。」
カバンを持って教室を出る。
今日は午後からドラマのスチール撮影。
控え室に入る前に、彰ちゃんにお弁当渡さなくちゃ。
…あーあ…
早く、恋人同士になりたいな…
そう思う、島沢佳苗、17歳です。
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