茜色の手が白い百合に触れられたら

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 その時、彼に話し掛けるつもりは無かったのに、俺の脳裏でふと考えていた事が口から漏れる様に出て来た。 「その左手の小指が、その百合に触れたら如何なる?」  彼は俺の方へ振り返った。 「……僕で何を試そうと?」  俺の口は塞がる事無く、不思議と言葉が続いた。  後になって振り返れば、それは遠い過去に忘れてしまった、無垢な子供の抱く好奇心という奴から生じた結果だろう。 「その百合が彼女の全てなら、お前の手で触れると如何なるか気になった」  其れ以上の言葉は、俺の口から漏れ出る事は無かった。もう言いたい事を言い切ったのだと思う。  白い百合が“彼の手の様な色に染まるのか”。  或いは“散ってしまうのか”。  そんな彼でなければ出来ない様な事を試してやりたい、結果を知りたいと、メディア記者の様なエゴを何処かで思っていたのかもしれない。 「……意味が分からないよ」  彼はそう云って、静かに笑った。白い百合の花言葉を知っていたら、そんな答えになるのだろうか。  いや、そもそもこの疑問を彼にぶつける事に意味はあっただろうか。  この後暫く沈黙が続いたので、俺は次の言葉を考え込んでいたが、 「触れる事が出来たとしても、苦い記憶しか浮かばないんじゃないか?」  彼はそう答えて、先に彼女の墓を離れて行った。 「……」  微風で少し揺れる百合を横目に、俺も彼の後を追い掛ける様に墓を離れた。 * * * 「此処で別れよう」  其処は、数時間前まで青かった空の彼と再会した場所で。彼は振り返り、俺の言葉を待っていた。  きっと二度と会う事も無いだろうから、「またね」とか「元気で」なんて言葉の柄でも無い。 「……さよなら」 「さよなら」  他に良い言葉があったかもしれないが、花の様に綺麗な言葉で飾る事はしたくない。  もう何も求めていない。求めない。  もう何も望んでいない。望まない。  もう何も思っていない。思わない。  これで別れる事に後悔はしていない。さよなら、過去の中で生きてた人。  茜色だった空は、藍色が全てを吸い込む様に包み込み始めた。
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