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『…また、連絡するから。』
西野さんが、電話の向こうでそう言った。
あたしは無言で受話器を置く。
華道と音楽一家の家…なんて言うと変だけど。
そんな家に生まれたあたしは、家族の中、唯一のOLで。
父はF'sっていうバンドのボーカル、神 千里。
母は、SHE'S-HE'Sってバンドのボーカル桐生院知花。
双子の兄、華音はDANGERってバンドのギタリスト。
妹の華月は、モデル。
…そんな中、本当に普通なあたし。
だけど、そんなあたしにも恋人はいた。
職場の先輩で、西野さんという五つ年上の男性。
いずれは結婚も…って話も出てて。
まだお互いの親に紹介もしてないのに、あたし達はマンションの下見に行ってしまった。
パンフレット片手に、幸せになろう、って…
あたしの頭を抱き寄せてくれたのに…
会社の飲み会の帰り。
近くの公園で西野さんを見かけて、近寄ると。
「あっ…さっ咲華。」
「……」
「ちっ違うんだ。ここここれは、その…」
目の前で、西野さんが慌ててる。
そんな西野さんの隣で。
「あら、桐生院さん。」
その顔には見覚えがあった。
西野さんと同期の…椎名さん。
バリバリに仕事ができて、あたし達女性社員の憧れ的存在。
そんな二人が…
抱き合ってキスしてた。
「…西野さん…どういう…」
あたしが低い声で問いかけると、西野さんは椎名さんにせかされるように。
「…おまえにはー…悪いと思ってるよ。」
って…一言。
「悪いって…」
「……」
「あなた、ちょっと秀人の足を引っ張りすぎじゃない?」
ふいに、椎名さんが髪の毛をかきあげながら言った。
…秀人?
「秀人はもっと仕事ができる人間なの。あなたのフォローばかりで、全然自分の仕事ができてない。」
「おい、そんな言い方…」
「いいじゃない。本当の事ですもの。」
「西野さん…あたしの事、そんな風に…?」
「……」
あたしの問いかけに、西野さんは無言。
…いつも仕事でフォローしてもらってたのは確かだし。
あたしも、甘えてた部分はあったかもしれない。
だけど…こんな形で、それを知らされるなんて…
「秀人。今、ここで決めて。」
「え?な、何を。」
「あたしか、桐生院さんか。」
「えっ…」
あたしは驚きのあまり、口を開けて二人を見ていたかもしれない。
ここで…こんな所で、西野さんに選ばれるか捨てられるかだなんて…!!
「あっ、咲華!!」
気が付いたら、あたしは駆け出してた。
西野さんの言葉が怖かった。
椎名さんを選ぶ。って。
その言葉を聞きたくなかった。
翌日、悔しい事に熱が出た。
それも、高熱。
仕事に行こうとしたけど、おばあちゃまに止められた。
こんなの、どう考えても、夕べの事があったからって思われそう。
負けた気がして…悔しい…
ともあれ、おとなしく寝ているしかなかった。
夕方、少しだけふらつきも取れて。
熱も少し下がったあたしは。
誰もいないのを確認して、会社に電話をした。
休む連絡は入れてたけど…
西野さんに、直接言いたかった。
「…咲華です。」
『ああ…熱って…本当か?』
「本当です…」
『確かに、鼻声だ…大丈夫か?』
優しい声を聞いてると、夕べの事が嘘みたいで…
泣いてしまいそうになった。
『…また、連絡するから…』
西野さんとの電話は、それで終わった。
受話器を握りしめたまま、あたしはその場に立ち尽くした。
「咲華?」
ふいに、聖に声をかけられて魔法からとけたみたいに体が動き始めた。
「えっ…何?」
「電話、奴か?」
「…奴だなんて。」
「奴でいいんだよ。ったく、咲華は人が良すぎるんだよ。」
あたしは、夕べ。
つい…聖に全部をしゃべってしまった。
悔しくて、どうしようもなくて…
「なんて?」
「え?」
「あいつ、なんて言ってきたのさ。」
聖はソファーに座ると、唇をとがらせて、あたしを見上げた。
大学四年で、あたしより三つ歳下の叔父なんだけど…弟みたいな聖。
妹の華月と同じ年の同じ日に生まれたから、あたしと双子の華音にとっては双子の妹弟がいるみたい。
「…また連絡するって。」
意を決して打ち明けると、聖は一瞬息を飲んで。
「くっそ…何かすっきりしねえな。」
って、ますます唇をとがらせた。
「仕返ししてやれよ。」
「仕返しだなんて…」
「あいつを見返すほどのいい男連れてさ、目の前で見せつけてやれよ。絶対悔しがるぜ?」
「無理よ。あたし、そんな度胸ないし…それに、そんな知合いいないもの。」
あたしが首をすくめて笑いながら聖の隣に座ると。
「また、無理して笑う。」
聖は、あたしの額を指ではじいて。
「おまえ、もっと自信持てよ。結構いい女なんだぜ?」
って、真顔で言ってくれたのよ…。
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