10人が本棚に入れています
本棚に追加
水汲みから帰って来ると、何だかあの子が寂しそうに見えた。僕は悪い事をした様な気がして、言い訳を考えた。
「ごめん、忘れてた」
僕はそう言って、急に居なくなった理由を水汲みのせいにして、あの子に水を掛けた。すると、水は水蒸気となって、たちまち空に昇って行く。
──感じる。あの子が「冷たい!」と言って、笑っている。
僕は、やっと逢えた。遠い昔、水遊びをして戯れあった、楽しかった夏の日の思い出。
あの子も僕も、まだ幼かった遠い昔の記憶。やっと取り戻せる。大好きなあの子に恋焦がれていた、あの頃の僕を。
僕はキャンディを一粒舐めた。大好きなメロン味だ。しかし、思っていたより美味しくない。甘過ぎる。大好きな筈なのに、甘過ぎる。
でも、僕は美味しい物を食べている顔をした。幼い頃を思い出したくて、無理やり表情を作った。
僕はもう一粒、赤いキャンディを手に取ると、あの子に渡そうとした。
ひまわりに蟻がいる……。そうか、そうだよな。蟻のエサにしか、ならないな。
僕はもう一粒の赤いキャンディを口に入れた。甘い香りが口に広がる。イチゴの味が、メロンの味と溶けていく。
大きな声で笑うと微かに香る、あの子の大好きなイチゴ味のキャンディ。
……駄目だ。美味しくない。甘過ぎる。僕は、やっぱりもう戻れない。もう、一緒に食べられない。イチゴ味も、メロン味も、もう甘過ぎる。
遠くで僕を呼ぶ声がする。もう長くは居られない。でも僕は大切な何かを、あと少しだけ大切にしていたかった。
何か、虚しい。僕は今あの子と向かい合っている。あの子は、あの子のままだ。でも、僕はあの頃の僕じゃない。
いつも僕に笑顔をくれた。毎日を明るくしてくれた。落ち込んだ時も笑ってくれた。辛い時も、微笑んでくれた。
あの子は、そこにいる。でも、僕はもうそこにはいない。
もう逢えない。記憶の中のあの子とも、別れを告げる時が来たようだ。
僕は下を向いた。泣いた訳じゃない。成長した僕は、こんなに幼い子の前で、泣くわけにはいかない。
今年が最後だ。この夏が最後の思い出だ。今までありがとう。僕は、もう行かなくちゃ。
僕は、あの子に向かって手を合わせると、さよならを告げた。
優しい線香の香りが鼻に付く。メロン味のキャンディは溶けて、イチゴ味のキャンディだけになった。
そのイチゴ味も、もうすぐ無くなる。随分と味が薄くなって来た。僕はその味を噛み締めながら、お墓を後にした。
途中、「ありがとう」そんな声が聞こえた気がして振り返ると、あの子はひまわりに囲まれて僕を見守っている様だった。
……そうだ、思い出した。花言葉だ。ひまわりの花言葉。あの子は教えてくれたんだ。
「あなただけを、見つめる」
今までありがとう。僕はもう大丈夫だ。どうか、安らかな眠りを……。
僕はひまわりを背に、再び歩き出した。
最初のコメントを投稿しよう!