第三章 雷神降誕、朱雀大路を駆け抜ける

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 万象が見上げる空は白け初め、雨上がりの虹が橋を作っていた。それを見た清少納言がぽつりと呟いた。 「夏も…… あけぼの…… 雨上がりにて…… ようよう白くなりゆく…… かすかな明かりて、紫立ちたる雲にたなびきたる虹の橋立……」 それを聞いていた万象が軽く茶化しにかかる。 「あれあれ? 夏はこにしきではありませんでしたか。夏は暑いから外に出ずに涼しき池の水が小さき錦の糸に見えるのが素晴らしいとお書きになられていたのでは。それに春とあまり文が変わりませんな」 「う、うるさい! 夏は雨が降っても素晴らしいと継ぎ足すように書いておる! その補足みたいなものじゃ! 揚げ足を取るより素直に褒めないか! このけちけちふふふめが!」 すると、万象が大欠伸をした。清少納言はそれを見て訝しげな顔をする。 「はしたないぞ。男子(おのこ)であるならキリリと顔を整えぬか!」 「一晩をかける程の相手は久しぶりでしたので…… 夜中に出てくる鬼や悪霊なら倒して帰ってもたっぷり眠るぐらいの時間はあるのですが」 万象の体は全身で船を漕ぐように揺れていた。瞼が重く虚ろな目で清少納言を見つめる。 すると、道満と晴明が牛車の中より御簾を開けて姿を現す。道満は万象の肩をバンバンと叩き褒め称える。それからガッチリと肩を組む。 「すげぇな! 流石は俺の西の字だぜ! 師匠が百回以上も戦った道真公を一回で鎮めちまうんだからな!」 「いえ…… 鎮めた訳ではありません…… 一時(ひととき)を慰めただけでございます…… それに時代が良かっただけです…… 地方の御華門の子孫が目覚めようとする時期でなければ、あの説得は出来ませんでした…… 本当の手柄は前までの百回で都を守りきった晴明殿にあるべきです…… それと、蘆の字…… 私はあなたのものになった覚えは…… ありません」 万象は道満が組んだ肩を強引に払う。眠く力の無いゆったりとした動きだったが、道満はこれまでにない剛力を感じるのであった。 そして万象は朱雀門に向かって倒れている道永に向かって指を指した。 「あの方、お屋敷に連れ帰って貰えますか?」 晴明が軽く手を上げた。 「その役目、私が引き受けよう。私の屋敷の近所だしな」 晴明の屋敷と道永の屋敷である土御門邸は近所である。晴明からすれば帰り道に届けるようなものである。 「師匠がこんなの運ぶことねぇよ。検非違使なり、警護の奴らに任せれば……」 道満は辺りを見回した。朱雀大路には自分達四人以外誰もいないことに初めて気がつく。 「雷が落ちた時点で全員逃げましたよ。牛含めて」 「左大臣の割には人望ねぇんじゃねぇの?」 「言うな。一応は私の雇い主だ」 晴明は念動力(テレキネシス)で気絶した道永を持ち上げる。そして、万象に軽く礼をした後に土御門邸に向かって歩いて行くのであった。道永はその後ろを糸が繋がった風船のように着いていく。 道満も陰陽寮に帰り今回の事件の報告書を書くとの理由で陰陽寮に向かって歩き出す。 「あ、そうだ。西の字」 道満は一旦足を止めてくるりと踵を返した。 「なんです…… 要件があるなら手短に……」 「もう、朱雀大路に雷神様は行進しないってことでいいのか?」 万象は横に首を振った。眠そうながらも訝しげな顔をしている。 「あの者…… 道永殿が御華門を蔑ろにするような野望を持ち、本格的にこの国を自分の物にしようと動き出すなら、また行進をするやも知れませんね。あくまで私がしたのは説得です」 「あいつが良からぬことを考えるようなら、俺が呪詛でどうにかしてやるよ。一殺多生ってやつだ」 「穏やかでは…… ありませんね……」
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