序章

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これ以上の問答を続けていては道永を関白に押し切られてしまう。考えは伊州寄りであるが、まだ熟考の余地がある。御華門は強引に話を打ち切ることになされた。 「母上は(まつりごと)に関わらないで下さい。朕は早朝(つとめて)の祭祀がありますので、お引取り下さいませ」 大鏡子は焦った。我が息子ながら頑固であるな…… ここは女(母)の武器しかあるまい。 「この! この血と肉と骨を分け与えし母の頼みが聞けぬのかえ! 我が息子は母の頼みも聞けぬ程の薄情者であるのかえ!」 大鏡子は涙で顔を崩す、そして袖で涙を拭い、ぎゅうと絞る。袖から水に濡れた布巾を思わせる程の涙が溢れ出る。 「この母が! この母が! ここまで涙を流しておるのに! そなたの心は動かぬというのかえ! おいよいよ……」 「わ、わかりました! そろそろ朕も譲位を考えておる頃でして、譲位を考えておる我が子を支える立場としては歳が近い伊州よりも道永の方が良いやもしれん!」 伊州はまだ若い。また次の機会があるだろう…… 多分嘘泣きであろうが、母の涙には弱い。御華門は大鏡子の言葉を呑ませられるのであった…… 「やも、では無く、その方が良いのです」 「では、朕が御華門であるうちは『内覧』と言うことで……」 内覧。政治上の重要な書類を御華門に渡す前に見る(書き換えも可能)役割、摂政・関白と同等の権力があった。 大鏡子は直様に道永の屋敷へと向かい「内覧」となったことを報告した。道永はそれを聞いて口角をニヤリと上げるのであった。 「宣旨(せんじ)が下りましたよ。我が子、我が孫、しっかりと支えて上げておくれ」 宣旨。御華門や内裏の命令を下に伝える時に出された文書。内覧はそれを先んじて見ることも出来た。 「然るべく…… ところで姉上、袖が水で濡れておいでのようですが」 「ああ、涙をちと流しての。泣くのも疲れるぞえ」 「清原元輔殿がそんな歌を詠まれていたな。ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ……」 「末の松山 波こさじとは 妾の貝合せの得意札であるぞえ」 「さすがは姉上でございます。ところで、袖が絞れる程に泣くとは…… 私のための涙と思うと嬉しゅうございます」 「何を言うとるのじゃ」
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