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あの場所
「真紀~ 一緒に帰ろ!」
「うん。いいよ」
今日も特に何にも無い、つまらないと言えば確かにそうだけど、平穏な一日が終わった。中学校からの親友と一緒に帰る帰り道、その途中で見知った顔とすれ違う。
「...」
「...」
だけど挨拶はしないし、視線も送らない。
通り過ぎるだけで分かるから。ああ、今日もあの場所に行くんだって。
あの場所
「...」
今日も来たらしい。まぁここは別に俺だけの場所じゃないし、いいんだけどさ。アイツもここが好きなのか、あるいは万に一つも可能性は無いと思うけど俺が気になるのか、最近よく俺がここにいるとやってくる。
接待はしない。言葉を交わすこともない。ただ、コンクリを割って生えてきた雑草を眺めたり、まばらにシミが浮かぶ天井を眺めたりして過ごす。
アイツも、最初の頃はこっちに気を遣ったり、話しかけてきたりもしたが、俺が徹底して興味が無い様子を呈すると、静かに過ごすようになった。
...今日は風が気持ちいい。風の吹く方向につられて振り向くと、丁度髪の毛を纏めて後ろで括り始めたアイツと目が合った。でも、お互い特に反応はしない。俺はそのまま前を向いて天井を見上げた。
最初はとにかく、あの人が気に入らなかった。
秘密基地みたいだね、とか、ここで何してるの?、とか、色々話しかけてみてもちっとも答えないし、それどころか平然と無視してくるし。
だからムキになって私のこととか、学校のこととか色々喋った。
数日はなんとかあの人に喋らせようと頑張って、だけど、次第に落ち着いてきた。
それはあの人が自分から率先して喋ろうとしなかったから、話しやすかったこともあるし、全く興味がなさそうだったから、私が好き勝手喋れたっていうこともあった。
だんだんと話をしなくなって、ただそこに居るだけになった。
ある日、私は一人だった。あの人は来てなかった。
てっきり毎日来てるもんだと思ってたから意外だったし、すぐに帰ろうと思ったけど、ちょっと気が変わってしばらくその場に居てみようと思った。
あの人がここで何をしてたのか、ずっと気になってたから。
だけど、特に何も無かった。歳相応の男の子が好きそうな本もどこにもなかったし、それどころかどこにも何もなかった。ただ、ちょっと古ぼけた感じの、だけどそこまで汚くない廃屋だった。
よく分からないのが気に食わなくて、私は数日そこに通い続けてみた。
「...今日は居ないみたいだな」
久しぶりにゆっくりできそうだ。そう思っていたらちらりと人影が見えた。げ、と出てきかけた言葉をむりやり飲み込む。いくら会話はしていないとはいえ、一緒にいることが多いんだから気を遣うことだってある。
最初は追い返そうと俺なりの嫌がらせを徹底したこともあったが、退く気配の無いアイツに俺が折れた。それに、最近じゃ、"ここの使い方"も分かってきたみたいだし、とにかく五月蝿くしなければいい。
「...居て悪かったね」
聞こえてたか、と思ったがフォローするつもりは無い。俺は軽く肩を竦めて、冷たいコンクリの壁に背を持たせかけた。その言葉の割りに気にした風も無く、アイツも中に入って来て、俺から少しはなれた場所に腰を下ろした。
静かな時間が流れる。
薄暗い部屋の中に年頃の男女が1組。何か間違いでも起きそうな字面だが、そんなことは全く無い。何しろ2人して虚空を見つめているのである。むしろホラーか何かかもしれない。
そんなくだらないことが頭の中に浮かんできて、そして薄れていった。
結局あの人がここで何をやっているのか分からなかった。
だけど、分からなくて当たり前だった。何もやっていなかったんだから。
それが分かったのは、あの人が再び来るようになって数日、あの人の様子を伺っていたときのことだった。
あの人は突然立ち上がって、ようやく何か始めるのか、と私がついて行った先には、先が見えないほど長い森の中の登り階段だった。
ここを登るのか、と戦慄して気合を入れなおしたのに、あの人は見える範囲の半ばに腰を落ち着けてぼーっとし始めたのだ。
私は拍子抜けして、その隣に座ろうとするとしっしと手を払われた。
初めての反応がそれか、とちょっとショックを受けたことに腹立たしさを感じながら、私があの人の右斜め後ろに腰を下ろすと、あの人が私を振り返って口を開いた。
「お前。ここ階段だぞ?分かっててやってんのかそれ?」
「は?何それ意味わかんない」
初めて口を聞いてくれたのに、あの人が言ったのはどうでもいいことで、それにまたちょっとショックを受けた自分が嫌になりなりながら、あの人の背中を見て過ごした。
しばらくすると足音が聞こえてきた。私が期待を込めて振り向くと、階段を降りてきたおじいちゃんが困った様子で私を見下ろしていた。
目が合って、おじいちゃんが口を開いた。
「すまんのう、お譲ちゃん。休んでいるところ申し訳ないんじゃが、どっちかに寄ってくれんかのう」
「あっ はい!すいませんっ」
恥ずかしくて慌てて道を譲ると、おじいちゃんは私を通り過ぎて、あの人と2~3言交わした後、階段を降りていった。私はあの人に文句を言おうとして、やめた。
そういえば、注意のようなことを言っていたことを思い出したからだ。
なんだか急に恥ずかしくなって、私は膝を抱え込んだ。
雨の日はあの場所には行けない。
鬱々とした天気の日こそ、ああいう場所には行きたいものだが、まだそういう場所は見つけられていない。森の階段も、寂れた廃屋も、小さな公園も駄目だ。屋根が無いし、あっても雨漏りが酷すぎる。
俺は思わずため息をついた。仕方が無い。今日は真っ直ぐ家に帰ろう。そう思って廃屋を通り過ぎようとして、廃屋から物音が聞こえた。
気になって覗いてみると、アイツがドロだらけで蹲っていた。俯いていて顔は見えない。思わず口の端がつりあがるのが抑え切れなかった。俺も雨の日に始めてここに来たときはやったものだ。
雨の日の廃屋の入り口は光の加減で少し見え辛くなっている上に、濁った水溜りの中にトラップよろしくコンクリからはみ出したのかぐねった鉄筋が飛び出しているのだ。昼間は見えるからどうってことはないが、雨の日はそれが見え辛くてそこに蹴躓く。
それでたたらを踏めればいいが、運が悪いと派手にすっ転ぶわけだ。
廃屋には屋根はあるが経年劣化でボロボロ、コンクリの隙間から雨水がボタボタと落ちて屋内にはいくつもの水溜り。そこに突っ込めばどうなるか。しかも、床はボロボロとはいえコンクリだ。擦れば当然痛い。
アイツ、派手にやったらしいな。とはいえ、俺には関係のないことだ。勝手にここにきて、勝手にすっ転んだんだから。
俺は背を向けて立ち去ろうとして、浅い水たまりに踏み込んだ。じわりと靴先が濡れて冷たかった。愉快さが冷たさに塗り替えられていくのを感じて、思わずため息をついた。
夕焼けもそろそろ終わりそうな頃、私ははっとして目を覚ました。
どうやら膝の間に頭を挟んでそのまま眠ってしまっていたらしい。
周りには誰もいなかった。あの人もいなかった。
急に冷え込んできたからか、ぶるりと体が震える。お腹が情けない音を立てた。
帰らなきゃいけない。そう思って思い出す。
雨の日の廃屋はいつもと全然違う印象で。
それがなんだか無性に恐く感じて帰りたくなって。
振り向いたら晴れの日と全然印象が違って、帰り道がどっちか分からなくなって。
それで、あの人が来るまで待ってたのに。
私は焦って、軽くパニックになりかけたところで、ポケットに突っ込んだ手が何かに触れた。
取り出してみると折りたたまれたメモ用紙だった。地図となにやら文字が書いてあった。
地図と言っても手書きで大雑把で、だけど無いよりはマシで。
それに、私の肩には男もののジャケットが掛かっていた。
メモには地図と、ジャケットを廃屋に帰しておくようにとの旨が載っていた。
私は口の端がつりあがるのが抑え切れなかった。
その時、廃屋の入口の方で小さな水音がして、思わず私はそっちに目を向けた。
あの人の背中が見えて、気が付けば私はその背中に走り寄っていた。
「待ってよ。これ、どうしてくれるの?」
「知るかよ。勝手に転んだんだろ」
俺は振り返ることもなく、そう答えた。すると、アイツが俺のもう一方の肩にべちゃ、と何かを乗せた。
「何すん」
「確かに返したからね。それじゃ、私はもう帰るから」
ふと、俺は肩に置かれたものが何なのか察して、横を通り過ぎようとしていたアイツの腕を掴もうとしたが空振った。
まさか出るときも引っ掛けるのかよ、と戦慄しながらアイツの身体の前にどうにか身体を差し込むことに成功した。俺も泥だらけになってしまったが、仕方ない。
流石に2度も転ばれるとどう反応していいか分からないからな。
すると、耳元で押し殺したような泣き声が聞こえてきた。
ジャケット泥だらけにした上に巻き添えで泥だらけになってこっちが泣きたいっつうの。と思いながらも振り払うような度胸は無くて、俺は雨に打たれながらしばらくアイツの身体を支えていた。
あの日から、あの人は少しだけ私に優しくなった。
話しかけても不機嫌そうな顔はしなくなったし、寝てしまっていたら起こしてくれるようになった。
やっぱり無愛想だし、ほとんど無表情で、だけどそれが心地いい。
無理して笑ったりしないし、話題を振ったりもしてこない。
私がどんな顔を見せても、嫌な顔はしないし、素で居られるのがとても楽だ。
たまに、あの人が私のことをどう思っているのか、気になることはあるけど、その度に、雨の日にあの人に救われた時の一言を思い出す。
その言葉を思い出すと、胸がすっと軽くなって、このままでいいんだって思える。
親友からも言われたことのないその一言は、今では私の宝物だ。
※雨の日の幕間
「あの、ありがと」
「いいって。気にすんな」
私はシャワーを借りて彼の服を貸してもらって、ホットココアを飲んでいる。
擦りむいて少し血が滲んでた膝も消毒してガーゼを貼ってくれた。至れり尽くせりだ。
一方彼は泥だらけのジャケットを見つめて途方にくれていた。
ここは彼の部屋で、彼は一人暮らししていると言う。
なんでも大学生になったときの予行演習らしい。
その言葉を聞いて、私は急に不安になった。
「どこか、遠いところに?」
「いや、別に。単に親と離れて暮らしたいだけだ。男は色々あるからな」
無視されるかと思ったのに、案外まともな答えが返ってきて、私は目を瞬いた。
そういえば、今も彼はジャケットの泥をブラシでこそげ落としながらぶつぶつとクリーニングに出すか?この状態で?なんて独り言を言っている。
「意外と喋るんだね」
「あぁ?まぁ日常会話ぐらいはな」
彼はこちらには目もくれず、泥を落とし終わったジャケットを洗濯籠に放り込んだ。
そして制服を脱いで同じように泥を落とし始めた。
「その、ごめんね。私のせいで」
「だからもういいって言っただろ?もうその話題は終わり。別に手を貸さなくても良かったんだ。でも手を貸したかったから貸した。俺がそうしたかったからしたんだ。お前に気に病まれる筋合いは無い」
ブラシである程度泥を落とした制服を同じく洗濯籠に放り込みながら彼はそう言ってくれた。
ちょっとひねてるけど、それが逆に近い感じがして悪くない。
なんだか、ココアだけじゃない温かさが身体の中に広がってるような気がした。
そんなとき、ふと疑問が浮かんだ。
「ねぇ、なんでいつもは無口なの?そういうキャラ付け?」
「何?お前、俺のこと中二病か何かだとでも思ってんの?」
途端に彼は不本意だとでも言いたげにぐりんとこちらを振り返った。
思わず目をそらす私。
彼ははぁ、と疲れたようなため息をついて言った。
「俺はあそこに癒されに行ってんの。なのになんで煩わしいことをしなきゃいけないわけ?」
「煩わしいって...私と話すのが煩わしいってこと!?」
「別にそうとは言ってないだろ?そうやって突然キレられるのが嫌だから話さないんだよ。お分かり?」
そう言われて、私は口篭った。それをいいことに彼は話を続ける。
「男の色々もあるけど、俺の家族は短気が多くてさ。お前はそれほどじゃないけど」
「そう...なんだ」
いわゆる家庭の事情ってやつだろうか。
私の家族は特に問題なんてないから、彼の苦しみはちょっとよく分からない。
「お前は?」
「え?何が?」
急に話を振られて、何のことか分からなくて彼を見ると、彼はジャージを取り出していてそれを着ているところだった。
ファスナーを上げながら、彼は答えた。
「何って、あそこで何してるんだって話だよ。俺が話したんだから次はお前の番」
「...」
ここで話したくないと言ったら彼は怒るだろうか。いや、きっと彼のことだから興味なさげに流すかもしれない。
気軽に断れると思う...だけど、それはなんだか嫌だった。
「私は...私も癒されに」
「お前んとこも家族がアレなのか?」
「ううん。友達付き合いがちょっと、ね」
「ふぅん」
興味なさげに、だけど話を聞いてくれる。今話さなきゃいつ話すんだ。しっかりしろ私。
ずっと頑なに避けてきた話、ここでしなきゃいつするんだ。
「無理して笑って、無理して話題合わせて、好きでもないことをして...そういうことに疲れた時に、ね」
「...」
彼は私の体面に座って、何か考えるように肩肘をついて私の右肩の向こうを見つめ始めた。
口が何度も開いては閉じる。何か言おうとしてくれることが無性に嬉しくて、胸がどきどきし始めた。
しばらくして、彼の口から言葉が流れ出した。
「マジで趣味が合う友達なんか滅多に出来ねぇと思うし、素の自分出してぼっちより、そういう付き合い方して友達作る方がいいってヤツも居るだろうし、俺はそれに対して何も言わない。それに俺は男だし、女はそういうもんかもしれないしな」
そこで一息ついて、彼は真っ直ぐに私を見た。
男の子に真っ直ぐ見つめられたことなんてなかったから、私はどぎまぎして、だけど目を逸らしちゃいけない気がして、その瞳を頑張って見返した。
「だけど、無理すればボロが出る。当たり前のことだ。だから休息がいる。当然だ。ああいう場所は俺のもんじゃないし、誰のものでもないから使いたいなら使えばいい。俺のお前に対する評価も気にしなくていい。嫌なら別の場所に行くしな。ああいう場所に居る時は、好きな自分でいればいい」
そう言い切ると、話は終わりだとでも言いたげに手を振って、台所へ向かっていった。
好きな自分でいればいい。なんて、まさか、そんな風に言われるとは思わなくて、私が彼にしたことが全て許されたような気がして、私は思わず、にっこりと微笑んだ。
おしまい
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