3.転機

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 万知は、バスの中から通り過ぎる風景に目をやった。万知が駅の近くにあるショッピングセンターの雑貨店で、パートとして働き始めたのは最近のことだ。  きっかけは、数か月前の実家での食事会だった。 「万知ちゃんは働かないの?」  箸を置いた薫が大きな目をくりくりとさせて、万知を見上げた。六歳も年下の薫に、万知ちゃんと呼ばれるのはこそばゆいが、万知さんやお姉さんと呼ばれるのにも抵抗がある。万知は、若い薫の呼び方を暗に受け入れていた。 「そうね。でも、仕事を辞めてもうだいぶ経つし」 「だいぶって、七年でしょう? せっかく編集のお仕事してたのに。また復職したら? ねぇ、陽治さん」  陽治は困ったように眉尻を下げると、首を振った。 「万知の同業者と取引があるけど、万知が今から復職するのは厳しいね。たかが七年、されど七年ってことだ」  陽治のことばは万知の心に刺さった。陽治の言うとおりだと思った。一度社会から離れると、万知のような人間が復帰するのは難しい。 「えー。なんか、納得いかない。万知ちゃん優秀そうなのに」 「あ、もしかして薫ちゃんが働きたいの?」  陽治の問いかけに、薫が身を乗り出した。万知から話題がそれたことにホッとしたのだろう、陽治はふぅと息を吐き出すと、横目で万知に笑いかけた。  陽治は薫の詰問から万知を救ってくれた。そんな気がして、万知も陽治に微笑んだ。 「そうなんです。家にいてもヒマだし、お義母さんもゆっくりできないかなって」  万知の視界の端で、湯飲みを持つ母の指がピクリと動いた。母は聞こえなかったかのように、ゆっくりとお茶をすすった。  母と薫は、以前は本当の親子のように仲が良かった。母から薫の愚痴を聞くこともなかったし、薫が母の神経を逆なでするようなことを口にすることもなかった。
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