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溺れる夢をよく見る。
大小様々なあぶくに包まれて、暗く深い場所へと落ちていく。苦しくて苦しくて、もうだめだと思うときれいな指の大きな手に掴まれて、引き上げられる。
助かった、そう思って目を開けるとそこは鳥かごの中だ。扉のない鳥かご。囚われたまま、ここで朽ちていくのだと、絶望感に襲われ、息苦しくなって目が覚める。
眠る前は空だったとなりのベッドから、寝息が聞こえることを確認してまた眠りにつく。
永遠に続くループは、万知を絡めて動けなくさせていた。
やはりその日の明け方も、同じ夢を見た。
何時に帰ってきたのか。万知に背中を向けて、通路を挟んだとなりのセミダブルベッドで、夫の陽治は静かな寝息を立てていた。万知は自分のベッドを抜けると、音を立てないように歩いて、壁のハンガーラックに掛かる陽治のジャケットに顔を寄せた。
女物の香水の匂いがした。ここのところ、いつも同じ匂いだ。フローラル系の香りがかすかにする、ムスクの匂い。今は、この香水の女と付き合っているのだろう。無表情でジャケットから離れると、陽治を起こさないようにそっとドアを開けて、万知は寝室を出た。
リビングのカーテンを開けると、空は白み始め群青色から明るい青、地平線近くはオレンジに輝き、見事なグラデーションを描いていた。
パートのある日の朝は慌ただしい。二人分の朝ご飯と二人分の弁当を用意しなければならない。シンクの横のかごには、白い大きな弁当箱が伏せておいてあった。いつの日からか、陽治の弁当箱は帰ってきてから陽治が自分で洗うようになった。まだ濡れているから、帰ってきたのはだいぶ遅かったのだろう。
おいしく食べてくれているのか、満足してくれているのか、万知には分からないが、起きればこうやって弁当箱は洗われているから、また弁当を作る。もう作らなくていいと言われれば、陽治の分を作るつもりはない。でも、陽治が弁当を嫌がらないから、万知は毎日作る。
「私は幸せなんだ」
うつろな瞳で、万知は陽治の弁当箱を拭き上げた。
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