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薫が通り過ぎた。
早く帰れるたまのチャンスに、薫に偶然会えるとは、なんて運がいいんだろう。外食は、家で待つ母の機嫌を損ねるかもしれないから、ケーキを買って、どこかの百貨店でデリを買って帰ってもいいかもしれない。
雅知は、ビジネスバッグを肩にかけると、急いでカップを返却口に下げた。来店した客と、自動ドアでぶつかりそうになる。頭を下げて詫びると、薫のあとを追いかけた。
だいぶ先を行く薫を雅知の瞳が捉えたとき、上がっていた口角が元に戻った。
薫のとなりには、万知の夫の陽治がいた。
陽治はいつも帰りが遅いと、母が話していた。今日はたまたま、早く帰れるのだろうか。それとも、帰る薫と、クライアントとの打ち合わせに出かける陽治が、たまたま一緒になり、駅まで歩いているのだろうか。
そもそも、陽治の事務所はこの近くだっただろうか。
雅知は、胸の奥に冷たいものが伝うのを感じた。
薫と陽治の距離は、とても近かった。ときどき、薫の右手の甲とと陽治の左手の甲が、触れていた。それでも、ふたりは離れることもなければ、さらに距離を詰めて手を繋ぐこともなかった。
きっと、駅まで一緒に歩いているだけだ。まさか、薫の浮気相手が陽治のわけがない。薫が一人になったら、声をかけよう。
まるで私立探偵のように気配を消しても、激しく打つ鼓動はどうすることもできなかった。
雅知はふたりの後をつけた。
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