6.疑惑

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「気持ち悪いでしょう。母なんて、心底気味悪がっちゃって」  万知がそこでことばを切った。眉をひそめて話す万知ばかり見ていた翔太は、少し焦ったような万知の顔を見て、目線の先ある由香里を見た。由香里の顔は、青を通り越して薄白く見えた。 「ごめん、由香里も聞いてて気持ちのいい話じゃないよね。変な話聞かせてごめんね」  こういう話に慣れていないのか、由香里には何かトラウマがあるのかもしれないと、翔太は考えた。もしかしたら、大の猫好きなのかもしれない。だとすれば、こんな話を聞かされたら胸が痛くて仕方ないだろう。 「ううん。お母さん、心配ね」  由香里の表情は、心から万知の母を心配しているように見えた。 「万知も気をつけてね。何かあったら、話を聞くからね」  万知に何かあることはないだろうが、由香里と万知が互いに信頼し合っているのが見てとれ、翔太は嬉しくなった。 「俺も、何か新しい情報が入ったら教えるよ」  猫のぬいぐるみの話はそこで打ち切りになり、そのあとは店舗の営業の話を少しした。由香里の顔色が戻りかけたところで、翔太は万知のもとをあとにした。  万知の周りには人が集まる。初めて出会った頃からそうだった。万知は魅力溢れる女性だった。今も万知は魅力的だが、昔とは違う。絶対に口にすることはないが、万知に言えば年を取ったからと笑うだろう。  でも、それは年齢のせいではないと、翔太は思っていた。結婚のせいだ。  貫治には悪いが、陽治と結婚して万知は変わった。内向的になり、万知のチャームポイントだった積極性や冒険心、なにより自尊心が低くなった。万知が幸せならばと諦め燻っていた恋心が、再び熱くなっているような気がして、翔太はネクタイの結び目を強く握った。  息苦しさを感じて、そのままネクタイを緩めると、翔太は大きく息を吸い込んだ。  思いを告げれば、万知を困らせる。無理に迫れば、関係を持てるかもしれない。でもそれでは、万知が苦しめるだけだ。  万知を苦しめたいわけじゃない、心から笑ってほしいだけ、幸せでいてほしいだけだ。  エレベーターに乗り込み、地下階のボタンを押した。何も見えない暗がりの迷路に入り込んだらこんな感じじゃないかと思い、今度は息を吐き出して、薄暗い天井を仰いだ。
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