7.確信

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 そのあと、何を話したのか万知は覚えていなかった。  万知の薄い耳たぶをとろかすような甘い声に酔わされて、気がつけば次の週末に出かけるという、にわかには信じがたい約束をしていた。  週末に出かける、つまるところそれはデートだ。  デートだって、もちろん初めてではない。でも、ここまで心が浮き立つデートの約束は、初めてのような気がした。          万知は両頬を押さえてベッドに寝転ぶと、きれいに磨かれた手鏡を手にした。頬を紅潮させた自分の顔が、心なしか艶やかに見えた。  ――一目惚れ。  薄っぺらく怪しげで、でも、煮詰めた砂糖水のように甘ったるい現象を、万知は信じていなかった。潮の満ち引きのように、人の気持ちにも盛り上がりがあって、頂点にいったら醒めていくだけだ。いくら万知が惹かれていても、相手も同じように思っている確率は低い。  でも、ふたりで出かけるのだ。デートだ。  ふふふとニヤけて枕に突き伏した顔を上げて、ふと、ウォールハンガーに掛けられた洋服が目に入った。少しくたびれた半袖のシャツは、綿菓子のように柔く脆い夢の世界から、生活感溢れる現実に万知を引き戻した。  デートに着ていくべき服が思い浮かばない。  小さな出版社で、編集者として忙しく働く万知に、おしゃれに気を使う時間はなかった。というよりも、仕事にカマ掛けて、身の回りのことを後回しにしていた。デートに着ていけるような服を、ここ数年購入した覚えがなかった。  慌てた万知は、夏祭りに一緒に行ったゆきを巻き込み、由香里と美央も巻き込んで、デートに向けたコーディネートに頭を悩ませた。四人は、互いの服や靴、アクセサリーを持ち寄って、すったもんだと大騒ぎをし気づけば、デート当日を迎えていた。  陽治は、あの日の万知の服装を覚えているだろうか。覚えているわけがない。結婚してしばらくは、もしかしたら、覚えていてくれていたかもしれない。でも、万知を蔑むような目で説教をする今の陽治は、覚えていないだろう。  夏祭りのキスのあと、「浴衣といえば紺色のような気がしていたけれど、万知ちゃんは白が似合うね」と、優しく笑った陽治は、もういない。  初めてのデートに着ていった真っ白なワンピースに、ひどく感激して顔を真っ赤にした陽治は、もうここにいないのだ。
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