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雅知をよろしくねは、余計だったかもしれない。今生の別れのことばのようだ。本当なら、前に「薫ちゃんの浮気を知ってしまったときは」をつけたかった。
黙って歩く翔太の横を万知も黙って歩いた。
普通、夫の浮気を知った場合どうするのだろう。証拠を掴んで、突きつけたりするのだろうか、それとも、何も言わずに離婚を考えたりするのか。
離婚。初めて、その漢字2文字の熟語が頭に浮かんだ。
たぶん、陽治の浮気は初めてじゃない。怪しい気配を万知は何度も感じた。でも、一度も考えたことはなかった。
――離婚する? 陽治と?
心の中で、万知はまさかと笑い飛ばした。離婚できるわけがない。陽治が快諾するものか。陽治は優しい人だから、万知が浮気のことを責めて離婚を切り出せば、きっと、「万知を一人にはできない」と不貞を謝るだろう。そうすれば、また陽治と穏やかに暮らしていけるはずだ。
――薫とは別れてもらおう。
薄い雲の向こうに、触れれば折れそうな細い三日月を見つけた万知は、心の中で頷いた。
今まで浮気について、陽治に直接話したことはなかった。雅和のためにも、勇気を出して薫と別れてくれるように頼もう。
もしも、本気だと言われたら。
とんでもない考えが頭をかすめて、万知は頭を思いきり振った。
「どうした? 虫?」
突然の行為に、翔太が驚いた顔で万知を見下ろした。
「ううん、なんでもない。へぇ、この道に繋がってるのね。貫治くんのお店、もうすぐじゃない」
本気になるわけがない。万知は、一人では生きていけないのだ。
「ね、結構近いでしょう。さっき、貫治にメッセージ送っといたんだ。カウンターの席を確保しといてくれるって」
陽治が万知を捨てるわけがない。
万知はもう一度頭を振ると、薄い雲が過ぎてはっきりと顔を出した三日月のほうへと顔を上げた。
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