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息をひそめて、シリンダーに鍵をさした。ゆっくりと力を入れると、シリンダーの中から大きな音が響き、鍵が開いた感触が指に伝わった。
重い玄関ドアの隙間からのぞく暗闇に、罪悪感と深夜の独特の空気も相まって、万知の中に大きな入道雲のような不安がわいた。
「おかえり」
陽治の声と同時に玄関の明かりがついた。心臓が大きく跳ね上がった。白い壁に電球色が反射して、眩しさに万知は目を細めた。ただいまと言わなければいけないのに、万知の足はその場で固まったように動かず、喉はカラカラに渇いて言葉を遮った。
「楽しかった?」
笑顔を見せる陽治の腕が伸びて、万知は身体を強張らせた。
愛されている。だから、きちんと謝りたい。
つい数十秒前に抱いた熱い思いは、穴が開いた風船のように萎んでいった。
「虫が入るよ、中に入ろう」
陽治の手が優しく万知の背中を撫でて、自分のほうへと引き寄せた。麻のシャツを通して、陽治の温度が伝わる。陽治の指先は、真冬のように冷たかった。
「何を食べてきたの?」
「和食を」
万知の小さな声は、鍵を閉める音に掻き消された。
「和食を食べてきたの。遅くなってごめんなさい」
陽治に届くように、喉の奥に力を込めた。背中にあった陽治の手に力が入ったのが伝わった。抱きしめられた陽治の腕の中は、指先と違い温かかった。
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