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勤務中、由香里が万知を気にかけているのは分かったが、あえて気づかないふりをした。
昨夜の出来事に、動揺しているわけじゃない。夫婦なら当たり前で、愛し合っていれば交わされる当たり前の行為だ。今でも、陽治の動きを思い出すだけで、腹の奥に甘美なしびれが蘇る。
でも、泣いていた。
嬉しい気持ちからではない、それははっきりしていた。
――キスしてくれなかったから?
それも違う気がした。曖昧で混沌とした気持ちが、心の中を靄のようにいっぱいにした。
セックスレスが解消されたのに、愛されたのに、なぜ泣いたのだろう。なぜ、こんなにも重たい気持ちなのだろう。
「万知、時間だから上がって」
品出しをしていた万知に由香里が声をかけた。我に返り、段ボール箱の中を覗くと、まだ半分以上も納品された食器が入っていた。
「あとは引き継ぐから大丈夫。今日はずっと顔色悪かったよ。早く帰ってゆっくり休んで」
陽治のことで仕事を疎かにし、上司に心配までさせるなんて、本当に情けない。万知の胸は、由香里の気遣いに、罪悪感で苦しくなった。
「すみません」
「お疲れさま。万知、無理しないでね」
万知は頭を下げると、帰り支度を整えて逃げるように店を出た。誰の顔も見れなかった。
人に迷惑をかけることしかできない自分を責め、申し訳ない気持ちの裏で、陽治にどんな顔で会えばいいのか心配する自分にうんざりした。
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