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「万知」
建物を出て駅へ向かう途中、大きな声が万知を呼び止めた。
「由香里! どうしたの」
何か忘れ物をしたのだろうかと、咄嗟に由香里の手元を見たが、白い手には何も握られていなかった。
「明日の夜、食事に行こう」
息を切らして駆け寄ってきた由香里は、万知の前で止まると、苦しいのか胸を押さえて荒い呼吸を整えた。
「久しぶりに、早く上がれそうなの。私のストレス発散につき合って、ね、おいしいもの、食べに行こう」
懇願するような瞳で万知を見上げて、由香里が微笑んだ。行きたいのはやまやまだが、陽治に聞いてみなければいけない。勝手に出かけて、昨夜のようになるのは、もういやだった。
「陽治に聞いて、夜にでも連絡するね」
万知の答えを聞いた由香里の顔が、悲しそうに歪んだように見えた。万知を慮って、店をスタッフに任せて追いかけてきたのだろう。先ほど感じた申し訳ない気持ちと同時に、嬉しさが込み上げて、温かい気持ちになった。
「たぶん、いいって言うと思う」
明日も陽治は遅いのだろう。食事の相手は由香里だときちんと説明すれば、昨夜のことがあったにしろ許可してもらえるはずだ。
「夜、連絡するね。由香里、ありがとう」
安堵したように笑って、由香里が手を振った。万知も笑顔で手を振ると、駅の向こう側にあるバスターミナルに向かって歩き出した。
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