8.不信

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 翌日、万知と由香里が訪れたのは、万知がまだ独身のころに、由香里たちとよく訪れていたイタリアン居酒屋だった。今でいうバル風のおしゃれな店だ。 「レモンチェッロ、今もあるのね。私これにしよう」  酒を飲むつもりはなかったが、当時よく頼んでいたレモンチェッロを見つけて、懐かしさからそれを頼んだ。レモンチェッロとは、スピリタスウォッカにレモンの皮を漬けて作る手間のかかる酒だ。一度、自家製レモンチェッロを作ったとき、おいしそうに陽治が飲んでいたことを思い出した。  由香里も同じものを頼み、ふたりはグラスを合わせた。 「何年ぶりかなこれ飲んだの。やっぱりおいしい。由香里は今もよくここに来てるの?」 「彼とときどきね」  この間、プロポーズされたと話していた彼のことだろう。若いころによく来ていたバル、久しぶりのレモンチェッロ、由香里の彼のこと、陽治が今夜の食事を快諾してくれたこと、全てが相まって万知はとても楽しい気持ちになった。  万知は、由香里に彼とのことをいろいろ訊ねた。出会いやつき合うきっかけ、プロポーズのことばなど、由香里はいやがらずに万知に答えてくれた。 「万知、今夜は上機嫌ね」  しゃべり過ぎたかもしれない、万知は思わず口に手を当てた。 「ごめん、ひとりでしゃべってた」 「そんなことないよ。万知が元気になってよかった。陽治さんとケンカでもしてた?」  仕事中はいつも通りにしていたつもりだった。それでも、由香里に悟られるほど分かりやすかったかと、万知は反省した。 「顔に出てたかな、ごめんね。仕事に支障のないようにはしていたんだけど」 「仕事はちゃんとしてたよ。私は万知とつき合いが長いからね、他のスタッフは何も分かってないと思う」 「心配させてごめんね。でもね、大丈夫。今夜も陽治は快諾してくれたし」 「本当に大丈夫?」  念押しするように見つめる由香里の瞳は、全てを知っているように見えた。でも、陽治は万知を許したのだ。セックスレスも解消した。何も後ろめたいことはなくて、万知と陽治の夫婦生活は順風満帆だ。 「実はね、この間、翔太くん、樋口さんと食事に行ったの。それで、陽治に怒られちゃって」  夫婦の話を他人にするのは気恥ずかしい。万知は、人さし指で小鼻をかいた。
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