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「それにね……」
「ねえ、万知。少し私の話を聞いてくれる?」
聞きたくなかった。
陽治からモラハラなんてされているわけない。絶対に違う。
由香里は、万知が返事をしないことを同意と受け取ったようで、言葉を続けた。
「万知は陽治さんの作ったか鳥かごの中に囚われているの。だから、冷静に自分を見られなくなっている。あなたには羽がある。飛び方を忘れる前に逃げないと、手遅れになるよ」
飛び方。そんなのはとっくに忘れている。別に飛べなくても構わない。陽治がいればそれでいい。
そう思っているのに、鋭い逆棘のついた由香里の言葉は、なかなか抜けなかった。
次の出勤日は翌々日だった。
品出しも売場の整理も終わり、退勤の五時に差し掛かる頃だった。
「いらっしゃいま……」
柔らかなオーガニックコットンのバスタオルを畳み直していた由香里の声が途切れた。見ると、バスタオルを床に落として立ち尽くしている。
驚いた。由香里の視線の先にいるのは、陽治だった。
万知はレジを出ると陽治に駆け寄った。
「どうしたの? 仕事は?」
「早上がりした。迎えに来たんだ、一緒に帰ろう」
ただただ、迎えに来てくれた事実がとても嬉しかった。微笑む陽治から愛が溢れて見えた。
「もう少しだから待っててくれる?」
「もちろん。食器を見ているよ」
振り返ると、由香里は落としたタオルを拾い上げたところだった。
「ごめんね、由香里。この間、色々話を聞いてもらったばかりだから、驚いたよね」
由香里が答えるよりも先に、遅番のアルバイトの女の子が近寄ってくるほうが早かった。
「もしかして、佐川さんの旦那さんですか? めっちゃイケメンですねー。優しそうだし、羨ましい」
陽治が褒められるのは素直に嬉しい。かといって肯定も否定もできなくて、はにかむことしかできなかった。
「ほら、仕事仕事。レジに入ってくださいね。佐川さんは、五時だから上がってください」
「はい。お先に失礼します」
万知は元気良く頭を下げて、バックヤードに走って向かった。陽治は熱心にマグカップを見ている。お揃いのマグカップを新調してもいいかもしれない。陽治を待たせたくなくて、急いで身支度を調えた。
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