精神科病棟・夜明けの連獅子?

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 30代の亜伊は心の疲れを訴えて、ある精神科に任意入院した。  1週間ほど休んだころのことだった。  朝泣かずに起きられるようになった亜伊は、着替えて明け方のホールに行ってみた。  すると、女性がひとり、窓から頭を出して髪をかきむしっていた。  一体どうしたというのだろう。  女性はひとしきりかきむしると、頭を引っ込めて指ですきながら髪を整えた。二十代後半くらいに見える。  亜伊は声を掛けてみた。 「なにしてたの?」  初対面だったが、そんな気安い口調のほうがいいと思われるような、フレンドリーな雰囲気の患者さんだった。 「ん? オゾン脱臭。」  女性はふり向いてニッコリした。  亜伊はそばに寄っていった。 「オゾン脱臭? なんでオゾン?」 「夜明けにはね、木々がオゾンを吐くのよ。ここの窓、木の葉に囲まれてるでしょ? だから、髪に風を通せば脱臭できるの。  ほら、入院してるとさ、お風呂も自由には入れないから、におい気になるじゃん? だから。半日くらいしかもたないけど、少しはマシでしょ?」  亜伊は驚いた。確かに髪は臭くなりやすい。  そして彼女は匂っていなかった。 「まだできる?」  亜伊が訊くと、彼女は時計をみた。 「うん、まだ効果あると思う。」 「時間が決まってるの?」 「効果のピークは、だいたい5時から6時だよ。」  亜伊も時計を見た。6時まで、あと5分くらいだった。  あわてて窓から頭を突き出して、セミロングの髪を指ですきながら振った。 「3分か5分くらいでいいと思うよ。」  背後で彼女が言った。 「うん、ありがとう。」  亜伊はまんべんなく風が通るように、指を動かした。  彼女が尋ねてきた。 「もしかして、エステティシャン?」 「え? なんで?」 「指さばきがすごいなあと思って。」  亜伊は曖昧に笑って、 「そんなにすごい? ありがとう。」 と返した。入院中は、仕事の話はしたくなかった。  髪1本1本に朝風が通ったと思われたから、亜伊は頭を引っ込めて、髪を1房掴んでかいだ。なんの臭いもしなかった。 「すごいね、自然の威力。」 「やったの、………えーっと。」 「安堂亜伊です。」 「亜伊ちゃん。真似してやってみてくれたの、亜伊ちゃんがはじめてよ。誰も信じてくれないから。  私、更月しな。」 「しなさん。」 「しなちゃんでいいよ。」 「じゃあ、しなちゃん。これ、みんなに広めようよ。私が証人になるから。」  しなちゃんは目を輝かせた。ニコニコしながら、 「〇〇病院式朝シャンって?」 「それいい! 私たちで名物光景作っちゃおうよ! 毎朝、この並びの窓ぜんぶから患者が頭出して振るの。」  しなちゃんは想像してか、おかしそうに笑った。  亜伊も笑った。  なんだか久しぶりに笑っている気がした。
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