梅雨に松茸

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 いや、大家さんあのね、あたしは何も、払いたくない、って言ってるわけじゃないんですよ。家賃はお支払いします。ぜひともお支払いしたい。ただ、今手元にお金がないので、もう少し待っていただきたいと、こうお願いしてるわけでしてね。  そりゃ確かに、あたしは仕事してません、世間でいうプータローって奴です。確かに、日がな一日部屋でゴロゴロしてますよ、でもそれも私が悪いんじゃない、私のような人間を使おうとしない世間が悪いんで、え?  そんなことはどうでもいい、それよりもその女はなんだ?  ああ、この人ね、エリシアさん、外国の人です。いや、もちろんここに住んでるわけじゃありません、もちろんですよ、ここは一人暮らし専用の六帖一間、あたしは契約を重んじる人間ですからね、大家さんに断りもなく、同棲はじめたりするような、え?  そんなことはどうでもいい、その女は一体何なんだ、ほとんど素っ裸で全身緑色で、髪の毛がなんか納豆の糸みたいじゃねえか?  ええ、だから、外国の人なんですよ。この人の国じゃこれが普通なんで。礼儀正しいいい子なんですよ。  ああ、そうそう、大家さん、日本酒お好きでしたよね。いいのあるんですよ、純米、ワンカップなんかとはモノが違います、どうです一杯、お気に召したら、一升差し上げますから、いや、ちょっとさる方面から手にいれましてね、ああ、そうそう、マツタケもあったな、この梅雨時に珍しいでしょう、せっかくいらしてくださったんだから、どうぞ、召し上がってくださいな。え?  そんなことはどうでもいい。それよりもあの女はいったい何者なんだ?  仕方ないなあ、そこまで気になるんならお話いたしましょう。まあどうぞ、マツタケも焼きあがったことだし、ささ、もう一杯……           ♂  そもそもの事の起こりは、この梅雨ですよ。毎日毎日雨続き、あたしは仕事もなく、遊ぶ金もなく、テレビは質にいれちまったし、仕方なく毎日ごろごろしてました。しかし、あるとき、ふっ、と気になったんですね。あたしじゃなくて、なんだか布団の下がごろごろしてないかって。私のせんべい布団、ごらんのとおり、万年床、敷きっぱなしです。もしかして、このところの湿気のせいで、畳がどうかなったんじゃないか、って。いくら不精者のあたしでも気になります。おそるおそる布団をめくってみますと、畳の上っ面がデコボコしている。まるで、下から何かが押し上げてるみたいな感じでしてね。こりゃあ、湿気で畳が膨らんだとか、そんなレベルの話じゃないなと思いまして、よいしょっと、畳をめくってみたんですよ。そしたら、 「のわああああぁっ!」  あたしゃ思わず叫んでましたね。  畳の下の光景のその美しいこと、竜宮城か桃源郷かってなもんで。  緑や青のカビさんたちが一面に生い茂って、赤カビ白カビの水玉模様。可愛らしいキノコたちがあちこちから顔を出してましてね、白い菌糸がレースのように張り巡らされて、繊細華麗、もう、そのキレイなことといったらない。  しかし、いくらキレイでも、木造建築にカビはよくない。大家さんからお預かりした大事なお部屋です、涙を飲んでカビ退治です。  へら棒をもってきて、こう、こすり取ろうとしたらですね、びっくりしたのなんの、沈むんですよ、へら棒が。どんだけ分厚くカビがはえてるんだか、あたしゃすっ転んで、肘までカビのなかに埋まっちまいました。  で、慌てて立ち上がろうとしたらですね、立てないんですよ。腕が動かない。  何でかわかります?  誰かがあたしの手首を掴んでるんですよ。細い指の冷たい感触、 「ふひゃあああっ!」  あたしは悲鳴をあげながら引き抜こうとする、手首を掴んでる奴は離してくれない、ぞわぞわっとカビの上っ面が割れて、のびてきたのは緑色の細腕。 「きいゃああああっ!」  あたしは泣きました。漏らしそうになりましたけど、そこは男の意地で耐え抜きました。  あたしはめちゃめちゃに暴れて、緑色の腕を振り払う。もう腰が抜けちまって、立てねえんだけど、なんとかそのカビワールドから離れようとあとずさる。部屋の隅っこまでさがって見ていると、緑色の腕が畳の縁に手をかけてます。カビどもがぞわぞわ蠢いて、やがて、人の形が浮きでてくる。ぼわっ、という音とともに胞子の一群が宙に舞って、もう一本の腕が突き出されて、 「あー、どっこいしょ」  掛け声とともにあらわれたのが、このエリシアさんです。 「な、な、何だてめえは?」  あたしは男らしく敢然とたちむかいましたね。すると、なんとも優雅で涼やかな声で、 「わたくしの名はエリシア、菌の妖精界の王女。エリシア=マギステール=よし子」 「よし子だか、エリシアだか知らねえが、てめえ、俺んちに何の用だ」 「わたくしは悪い魔女の呪いによって、永遠の眠りについていたのです、その呪いを解けるのは、人間世界の心正しき男だけ」 「いや、おまえ起きてなかったか、おまえ俺の腕つかんだだろ」 「さあ、勇敢なる人間の騎士よ、わたくしに目覚めの口づけを!」 「だから!おまえ眼え覚ましてんだろうがっ!」  しかし、このよし子、じゃなくてエリシアさん、よく見ると可愛い。確かに肌は緑色だし、髪の毛は納豆の糸みたいなんだけど、ナイスバディだし、顔もよく見ると、トリンドル玲奈にちょっと似てる。ほら、目が二つあるとことか。あながち、妖精界のプリンセスっていうのもウソじゃないのかな、という気になってきました。 「で、よし子さん… 「エリシアと呼んでくださいませ」 「じゃ、エリシアさん、あんたの事情はだいたいわかった。とにかく呪いが解けて自由の身になったってわけだ。これでもう、その菌の妖精界に帰れるんだろ」 「わたくしは、永久の眠りのなかで誓いをたてておりました。わたくしは、この呪いを解いてくださる殿方に、身も心も捧げようと。さあ、抱いてくださいませ、私の全てが思いのまま、菌妖精界の王位も差し上げます」 「どわあっ、近寄って来んな、おまえカビ臭えんだよ、なんかねちゃねちゃしてるし」 「まあ、エリシアがそんなにお嫌いですか」  って、このお姫様、急にしくしく泣き始めました。  こうなると弱いのが男ってもんで。 「わかったよ、そんなに俺が好きなら仕方がねえ、時々ここに来るのはかまわねえ。だが、あんた、やっぱり自分の国に帰ったほうがいいんじゃねえかい、親父さんやお袋さんも心配してるだろう。菌の妖精界ってのは、こんな日本なんかよりずっときれいでいいところなんだろ」 「では、なんとしても、このエリシアを妻と呼んでは下さいませぬか」 「すまねえなあ、人間と菌妖精じゃあ、住む世界が違いすぎらあ。俺はかび臭えのが苦手なもんでなあ」  エリシアさん、しばらくうつむいていたが、 やがて心を決めた様子。顔を上げて、あたしににっこり笑いかけて、こう言いました。 「わかりました。エリシアのわがままでございましたね。でも、たすけてくださった方に、何のお礼もしないわけにはまいりません」  というと、畳裏のカビワールドに顔を向けて、 「キノコたち、酵母たち、出てきて力を貸しておくれ」  そこであたしは、はっと気がついたんですよ。菌というのはカビの仲間だけじゃない、マツタケもシイタケもシメジも、菌類だ。酒をつくる酵母も、パンに使うイースト菌も菌類だ。醤油も味噌も麹が必要だ。  人間は、ずっと菌の世界と共生していたんだな、と。 「すまねえ、エリシアさん。俺はちょっとひどいことを言いすぎたかも知れねえ」 「いいえ、もういいんです。さあ、これを受け取ってくださいな。せめてものお礼でございます。また、遊びに来てもいいのでしょう」  あたしは、彼女のいたずらっぽい微笑みに、つい、うなずいてしまいました。          ♂            といったわけでしてね、大家さん、ささ、どうぞ、もう一杯。え?  そんなメルヘンチックな話とても信じられない、俺を騙そうったってそうはいかないぞ?  困ったなあ、じゃあ、エリシアさん、ちょっと、お酒を造って見せてあげておくれ。そうそう、電子ジャーからご飯をよそってね、ああ、デモンストレーションだからそれぐらいでいいよ、いつものようによおく噛んで、ほら、コップをここに置くからね。まあ、ちょっと時間がかかりますが、みててください。  ほら、エリシアさんがコップを鼻の下に持ってうつむいてるでしょう……  ほうら、じょばじょばああっと出てきた出てきた鼻の穴から。まだあったかいから温燗って感じですがね。  ちなみにマツタケはどこから……え?  気持ち悪くなった?もう帰る?  そうですか。それじゃあ、お大事に。お気をつけて。  あ、家賃はそのうち払いますからー。お大事にー。                        おあとがよろしいようで
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