8月27日

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8月27日

 姉さんが夏風邪をこじらせた。微熱とくしゃみ、鼻水に咳。食欲は変わらず旺盛なようだけれど。 「ダイチ、お姉ちゃんの分、ゼリーとかスポーツドリンクをいくつか買って来てよ。あんたも何か食べたかったら一緒に買っていいから」  ぼくは了承すると、母さんから千円札を二枚預かり、財布に入れた。それ以外の荷物は、紺色のウエストポーチ、その中のスマホに鍵だ。 「よろしくねー、ダイチ」姉さんはリビングからぼくに声を掛け、直後に咳込んだ。 「ほらルミ、マスクしなさいよ。じゃあよろしくね」  ぼくは家を出ると、徒歩で駅前の商店街へ向かった。  今年の日本は冷夏だ。とても八月とは思えない冷たい風が吹き、じんわり汗ばむ全身を乾かそうとしてくれる。  コンビニより先に本屋に入った。少年漫画コーナーを少しだけ見て、隣の少女漫画コーナーを素通りし、店の奥の海外文庫コーナーへ。好きな女性ホラー作家の新作が発売されていたけれど、また今度でいいや。  本屋の後はコンビニに向かい、頼まれていたゼリーとスポーツドリンク、家族全員分のアイスクリームを買うと帰路に就いた。  その途中、ぼくは何故か、普段ならまず通らない、家までちょっと遠回りになる裏道を選んで進んだ。自動車がやっと一台通れるくらいの、車道と歩道がしっかり区別されていない狭い道。この街に引っ越して来てから三年目だけれど、この道は今までに二、三回くらいしか歩いた事がなかった気がする。  そろそろ普段の通り道へ戻らなきゃ、というところで、左側の空き地が目に入った。誰かが掃除しているのか、ゴミはほとんど落ちておらず雑草もまばら。売地の看板も立っていない。それだけだったら、ぼくは気にせず去っていただろう。  ぼくの興味を引いたのは、決して広くはないその空き地のど真ん中で、こちらに背を向けて佇む、桃色の髪の少年だった。  ぼくはしばらくの間、その少年に見入っていた。髪色こそ目立つが、白一色の半袖シャツに深緑色の短パン、茶色のサンダルと、服装は地味だ(ぼくも似たようなものだけれど)。身長は一六〇センチにも満たないだろう。小、中学生くらいだろうか。  少年が振り向いたので、ぼくはドキリとした。怪訝そうな顔をされるか、下手すれば怒られるかと思ったけれど、少年はぱっちりとした目でぼくをじっと見つめ、それから微笑んで中性的な声で言った。 「アイスクリームでしょ。溶けちゃうよ」  ぼくはハッとして右手に下げたビニール袋に目をやった。確かにそうだ、コンビニを出てからそれなりに時間が経過しているし、西陽にだって照らされている。 「オレが見える? 声が聞こえる?」  その場を去ろうとしたぼくに少年が尋ねた。ぼくは少しの間の後に頷いた。 「オレの名前はホープ。キミさえ良ければ、明日またここに来てほしいな。一三時頃、どうかな」  ぼくはまた頷いた。 「有難う」ホープと名乗った少年は笑いかけ──次の瞬間には消えていた。  呆気に取られその場に固まっていたぼくを、遠くから聞こえてくる犬の低い鳴き声が我に返らせてくれた。  恐怖は感じなかった。じゃあ何故心臓がバクバクしているかって、興奮からだ。  この日の夜は、暑くもないのになかなか寝付けなかった。
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