アラサー監察医に謎とショタを添えて~焼き肉は魅惑の味~前編

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アラサー監察医に謎とショタを添えて~焼き肉は魅惑の味~前編

 駅のすぐ近くに昔ながらの焼肉店があった。  店内はお世辞にも綺麗とは言えないが、旨い肉と手頃な値段が魅力となり、この店はいつも客で溢れている。  スーツ姿で仕事帰りの人が八割を占める中、シャツにジーパンとラフな服装のアラサー女性がいた。快活な雰囲気で、周囲から浮いていることなど気にする様子もない。  店員がビールとウーロン茶が入ったジョッキを女性のテーブルに置く。 「遅くなりました! ビールとウーロン茶です!」 「待ってたのよぉ! ありがとう!」  店内に充満している煙も、周囲の喧騒も、焼けた肉とビールという最強の組み合わせの前では、どうでもよくなる。  女性はビールを受けとると、速攻で一気飲みした。キンキンに冷えたビールが喉を駆け抜ける。 「プハァー! 仕事終わりの一杯は最高ですね! しかも人の金で食べる焼肉付き!」  口の中に残った苦味を堪能しながら、女性は網の上で焼ける牛タンをひっくり返した。 「おい、おい。裏返すには、まだ早いんじゃないか?」  女性の反対側に座っている中年男性が、再び牛タンをひっくり返す。白髪交じりのボサボサ頭に、太い黒縁メガネ。無精髭を生やし、服は何年も着古したようなポロシャツとスラックスだ。  女性は不機嫌な顔で牛タンをひっくり返した。 「タンは軽く焼いたぐらいがいいんです。これは全部私が食べるんですから、手を出さないでください」 「それなら、もう少し寄せてくれよ。僕の肉を焼くスペースがないだろ」 「はい、はい。どうぞ」  女性が網からタンを取ってスペースを空ける。 「おい、それまだ生のところがあるだろ。腹を壊すぞ」 「橋本先輩は心配しすぎです。別にこれぐらい平気ですよ」  忠告を無視して女性が牛タンを口に放り込んだ。タンの独特な弾力と味が口内を幸せにする。 「僕は神崎君ほど若くないんでね。慎重なんだよ」  恍惚な表情でタンを噛みしめている神崎を見ながら、橋本がマイペースに残りの牛タンを網の上にのせていく。  そこに次の肉をのせた皿を持った店員がやってきた。 「ロースとカルビとハラミです!」 「ありがとう!」  神崎は皿を受け取ると、てきぱきと網の上に肉を並べた。 「あぁ! そこは僕のスペース!」 「空けているのが悪いんですよ」  網の上が神崎の肉で埋まる。橋本は諦めたように肩を落としながら自分の牛タンをひっくり返した。表面はしっかりと焼けており、編み目の跡まで付いている。 「焼肉はゆっくり焼いて、味わいながら食べたいんだけどなぁ」 「ちゃんと味わってます。それに今日は金曜日なんですよ。私はさっさとお腹いっぱい食べて、幸せな気分のまま家でまったり過ごしたいんです」  金曜日の夜。それは神崎にとって、翌日を気にすることなく、趣味を満喫できる貴重な日だった。  好きなだけ美少年が登場する漫画を読み、神絵師たちがSNSにアップした美少年の絵を漁る。それが神崎の生きる活力になっている。  そんな事情を知らない橋本は、しっかり焼けたタンをようやく食べ始めた。 「はい、はい。あ、そういえば、今回の検死解剖。よく他殺の証拠を見つけたな。最初の解剖では心臓発作による自然死っていう診断だったろ?」 「そうですね。ですが、あれは刑事さんの執念の結果ですよ。これは絶対に他殺だから、もう一度解剖して心臓発作を起こした原因を見つけてくれって依頼してきたんですから」 「けど、それに応えて証拠を見つける君も君だぞ。よく、あんな小さなカプセルを肺から見つけたな。結局、ソレが他殺の証拠だったんだろ?」  神崎は焼けたロースを口に入れながら頷いた。脂の甘みと共に肉が溶け、幸せに包まれる。 「はい」 「あんなに小さくてレントゲンにも写らないのに、心臓を止めるだけの電気が出せるカプセルが作れるなんて、恐ろしい世の中になったな」 「仕方ないです。科学は日々進歩してますから」 「淡々としているな。まあ、カプセルを体内に入れるには注射するしかないから、簡単にはできないか」 「そうですね」 「それにしても、最初の検死解剖で注射痕を見落としていたのが痛かったな。それで不審な点はないって判断されたわけだし」  自分のタンを食べ終えた橋本がハラミを焼いていく。一方でロースとカルビを食べ終えた神崎は店員に追加注文した。 「あ、すみませーん! 坪漬けカルビと上ロースください! まぁ、あれだけ酷いアトピーですから、注射の痕と掻き傷を見分けられなかったのでしょう。私には注射の痕が見えましたけど」 「その痕を見えやすくするために、表皮と真皮を綺麗に剥ぎ取るとは思わなかったがな」 「剥ぎ取ったのは、ごく一部ですし、それで血管に注射した痕がはっきりと見えて証拠になったんですから、いいじゃないですか」 「確かにカプセルを注入するような太さの針だから、掻き傷だらけの表皮がなくなれば、注射の跡は分かりやすかった。でも、どうしてカプセルが注入されたって分かったんだ? 薬とかの可能性もあっただろ?」  店員が追加注文した肉を持ってくる。神崎は笑顔で受けとると、すぐに網一面を自分の肉で敷き詰めた。 「注射針の太さですよ。薬とかの液体を注射するなら細い針で十分です。それなのに、わざわざ太い針を使ったということは、太くないといけなかった。つまり、注入したい何かがあった、と考えたんです」 「じゃあ、解剖している時は、注入したものが何か分かってなかったのか?」 「はい」 「じゃあ、注射器で注入した何かが肺にあるっていうのは、どうして分かったんだ?」 「あぁ、それは簡単ですよ。心臓発作で倒れた後、心臓マッサージをしたと記載がありました。注入された何かが心臓で心臓発作を起こし、心臓マッサージによって起きた血流にのって肺に行き、肺の血管で詰まる、と考えました」  神崎は解説しながらも肉を次々と焼いて、次々と食べていく。一方の橋本もマイペースだが肉を焼いて食べていた。 「だが、肺といっても広いぞ。それを、よくピンポイントで見つけることが出来たな」 「肺の血管は細くなっていきますからね。注入された何かが詰まれば、その先は血がいかなくなり鬱血して組織の色が変わります。組織の色の違いで詰まっている場所は分かりました」 「そりゃあ、長時間詰まれば細胞が壊死して分かるけど、今回は詰まってから、すぐに本体が死んでるんだぞ。組織に色の差なんて出ないだろ。実際、僕は色の差が分からなかった」 「そうですか? 微妙な差ですけど、違いましたよ。ほら、この肉みたいに」  神崎が二枚の生焼けの肉を指すが、橋本には同じにしか見えない。 「いや、普通はその色の違いが分からないんだよ。しかし、犯人はカプセルを見つけられると思っていなかっただろうな」  橋本の言葉で、神崎の空気がガラリと変わった。  明るく気安い雰囲気が消え、冷たく全てを射ぬくような鋭い目になる。表情が抜け落ちた中で、艶やかな赤い唇が綺麗な弧を描く。  神々しくも不気味な美を纏いながら神崎は断言した。 「私に見つけられないものは、ありませんから」  橋本は一瞬見惚れかけたが、すぐに我に返り、慌てて生焼けの肉を口に入れる。 「そ、そうだな。おかげで、刑事さんから個人的に金一封を貰って、タダ肉にありつけたわけだし。僕は何もしてないけど」 「いえ。一応、橋本先輩のおかげでもありますから」  橋本が驚いて箸を止める。 「僕のおかげ?」 「そうですよ。普通はこんな小娘に、自由に検死解剖なんてさせませんから。せいぜい助手に使う程度です。そもそも、生意気とか、でしゃばるな、とか言われて、つま弾きにされていた私を拾ってくれたのは橋本先輩ですよ?」 「あぁ。僕より技術があるんだから、どんどんやるべきと思っただけだよ」 「お人好しですか?」  橋本は自分が焼いている肉に視線を落とした。 「違うよ。僕は昔から周りの人に恵まれていてね。そのおかげで生活できているんだ」 「そんなこと言ってると、そのうち足元をすくわれちゃいますよ」 「かもしれないね」  橋本はハハハと軽く笑った。  焼き肉の後、神絵師がアップした美少年の絵を堪能した神崎は満ち足りた中で眠っていた……が、携帯のメールで起こされた。しかも何度も送られており、着信数がものすごいことになっている。  神崎は寝ぼけた頭を掻きながらメールを読んだ。 「全部、橋本先輩から……? 研究所にある検査キットを持って家に来い? ……あ、橋本先輩の家の住所も書いてある」  神崎は研究室に行き、頼まれた物を準備してメールにあった住所へと向かった。 「ここで、いいんだよね?」  メールにあった住所を道案内アプリに入れて到着した場所は、広い庭付きの日本家屋だった。  玄関のインターホンを鳴らすが反応はない。神崎か帰ろうかと悩んでいると、カチッという軽い音がして引き戸が開いた。だが、目の前には誰もおらず、広い玄関と立派な木材が張られた床がある。 「え!? 自動ドア!?」  神崎が驚いていると、足元から声がした。 「よく来てくれた」  視線を下げると4、5歳ぐらいの美少年がいた。丸い大きな目にクルンと上を向いた長い睫毛。小さな鼻に、可愛らしい口。肌は白く、頬がほんのりと赤い。  大人用のシャツを着ているため、襟首から見える細い首と、裾から覗いているスラッとした足が、殺人的な魅力を放っている。  神崎は反射的に後ろを向き、鼻血が出ないように鼻の付け根を押さえながら天を仰いだ。 「これはマズい。今までは二次元だからセーフだったのに。三次元に手を出したら……」  神崎はチラリを美少年を覗き見た。小首を傾げ、無垢な瞳を向けている。それだけで、堕ちた。 「あぁ、神様。ありがとうございます。今まで、あなた様の存在を信じていませんでしたが、今日から信じさせて頂きます。こんな美少年が、二次元ではなく、三次元に存在しているなんて。至宝の宝を生で見る日が来るなんて。もう、この世に悔いはありません」  こんなことを呟いているとは知らない美少年は、訝しみながらも声をかけた。 「あー、神崎君? こんな姿を見て、現実逃避をしたくなる気持ちは分かるが、これは現実だ」  神崎がグルンと少年の方を向く。 「はい、分かってますよ。現実、これは現実なんですよね。あぁ、なんて素晴らしい……」 「おい、ちょっと待て。なんで職場の先輩が子どもになったことが素晴らしいんだ?」 「……職場の……先輩? ……誰が?」  美少年が細く綺麗な指で己を指す。 「僕が」  たっぷり30秒は見つめ合っただろうか。神崎が突如叫んだ。 「橋本先輩ですかぁぁぁぁぁ!?」 「そうだ。朝起きたら、なぜかこんな姿になっていた」 「いや、でも、なんで!? えぇ!?」 「驚くのは分かる。僕も驚いている」 「いや、驚いているようには見えな……いえ、それより橋本先輩って子どもの頃は美少ね……ハッ! この美少年がうん十年後には、あんなおっさんに!? なんて世界的大損失!!」 「何を言っているのか、よく分からんが、とにかく落ち着け!」 「ノオォォォォ……!!!」  橋本が神崎と普通の会話をすることが出来るようになったのは、数十分後のことだった。  正気に戻ってから和室に通された神崎は、出されたペットボトルのお茶の前に正座をして、反対側に座る橋本に訊ねた。 「……で、なんで私を呼んだんですか?」 「単刀直入に言う。僕がこうなった原因と、元に戻る方法を見つけてくれ」 「えぇ!?」 「見つけられないものは、ないんだろ?」  美少年がテーブル越しに上目遣いでお願いしてくる。その破壊力たるや、神崎の中では地球が爆発する威力と等しい。 「いろいろ無理ですぅぅぅぅ!」  神崎は吹き出しかけた鼻血を押さえながら叫んだ。
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