10 盛夏

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 那月はまだ来ない。時計の針の音だけが小さく聞こえる。しばらくして、その沈黙を先に破ったのは伊月だった。 「俺が六歳の時に那月が生まれたんだ」 「え?」  伊月は先程の質問に答えてくれるらしく静かに語りだした。しかし落ち着いた語り口調はいつも通りだが、普段の余裕な笑みは消え、伏せた目元には影が落ちている。 「本当にかわいくて、神様が俺に天使をくれたんだって思った。だから絶対に何があっても那月のことを守るつもりで、それは今でも変わらないんだけど、なんでだろうね。那月のこと誰の目にも触れさせたくない時があって……」  そう言った伊月の声は冷たく、理央は初めて見る伊月の表情に少しだけ気味悪さを感じた。 「たぶん俺は那月を自分だけのものにしたかったんだ。よく二人だけの秘密を作って気を引いたりして、でも那月が俺のことを好きだって知ったとき、怖くなってしまった。那月の気持ちを利用して縛り付けてしまいそうで、そんなことしたら俺は絶対に那月を傷つてしまう。だからいっそ誰かが俺から奪ってくれないかって、そんなこと考えてた。そしたら横山くんが現れて、これはいい機会だって思ったんだ。那月にとって君は特別みたいだったし、君も那月のこと気にかけていたようだったから。少しでも那月に特別な想いを抱いているなら、それに賭けてみたくなったんだ。……ただそれだけだよ。くだらないだろ?」  そう言って伊月は自嘲するように笑った。  伊月の孤独を垣間見た気がして、聞いてはいけないことを聞いてしまった心地で、若干の後悔に襲われる。伊月は那月へ依存にも近い独占欲を抱いている。そしてそのことに怯え、自分自身を責めているように見える。理央はなぜかそのことが酷く悲しかった。  伊月は俯いたまま黙ってしまった。理央は何か言わなければと口を開くが、何を言っても陳腐な言葉に聞こえそうで声を出せなかった。  那月を手放したくないのは自分も同じで、しかし伊月とは似ているようで本質は違う。この人はずっと一人で行き場のない感情を抱えていたのだ。
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