10 盛夏

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 冷房の効いた館内にチケットを買って入館すると、すぐ目の前に川魚の水槽が現れた。照明の効果もあってなかなか雰囲気がある。 「人多いな」  理央は辺りを見渡した。家族連れや中学生くらいの集団、それにカップルまで客層は幅広い。那月は人混みではぐれないように理央の背中にぴったりとくっついている。 「大丈夫?」  理央は那月を気にしながらゆっくりと歩みを進めた。背中に感じる温もりが心地よくて、しばらくこのままでもいいかなんて思いながらしばらく先に進むと、色鮮やかな光景が広がった。混んでいたのは入り口だけのようで熱帯魚のエリアは人が疎らだった。  イソギンチャクの間から出たり隠れたりするクマノミや、真っ青な魚、毒を持っていそうな色の細長い生物。水槽の横の柱には魚の名前や生態が詳しく書いてある。 「理央くん見て」  そう言って那月が指差したのは、パタパタと泳ぐ小さなハコフグの水槽だった。 「泳ぎ方かわいいね」 「ああ」  肩が触れるほど近くで那月が楽しそうに笑っている。それだけで先程まで頭の中にあふれていた考えが薄れていく。難しく考えなくていいのだ。言葉で伝えられなくても手の届く距離に那月がいるのだからそれで充分だ。  理央はそっと那月の手を握った。隣で那月が息を呑んだのが伝わってきた。指を絡めて握り込むと、じんわりと熱が染み込むように伝わる。好きだと言えない時、今までこうやって那月の中に自分を刻み込むように触れてきた。それは真っ白な雪を汚すような行為のようにも思えて、そのたびに理央は興奮にも似た感覚に支配される。そんな自分の身勝手な行為は那月が手を握り返してくれることで許されたような気になる。  隣を向くと那月と目が合った。だけどお互いに何も言わず、那月の睫毛が何回か瞬くのを見て理央は再び目線を水槽に戻した。揺れる光の中で泳ぐ魚たちを見ながら、そのまましばらく身を寄せ合っていた。
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