聖女の威厳

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聖女の威厳

 筋肉質とは言いがたい男だったが、それを踏まえても飛びすぎではないだろうか。  殴り飛ばされた男は、路地裏の雑多な物が積まれている壁にぶつかってそのまま倒れ込んだが、頭に血が上っているヤクザ者の男は、冷めることなく転がった男を蹴り続けた。 「許可も取らないで露店を開いてるだけでも重罪だってのに、こんなゴミ屑並べやがって。この町はなぁ、王様がお認めになった聖女さまのいらっしゃる、神聖なる町なんだよ。効きもしない御守りなんざ持ち込むんじゃねーよ。外の田舎村と一緒にするな」  一言も発しないまま蹴りを受け続ける男。体を丸めて急所を守ってはいるが、そんなに長くは持たないだろうと思われた。  しかし、ヤクザ者の声は大きかったことと、大通りからそれほど離れていなかったこと、まだ昼前という時間帯も幸いし、路地の入り口には人だかりができ始める。誰か抑えられる人を連れて来い、そんな雰囲気が生まれていた。  馬蹄が地を駆る音に続き、御者の驚く声が上がった。  馬車の前に飛び出した勇敢な者は何者だったのか誰も覚えてはいなかったが、その者の行動により、事態は一気に収束へ向かう。 「これは何事ですか?」  凛とした声が場を制した。  気を張って放たれた声音は、雑音を許さない程の緊張感を含み、近くに存在する、いかなる者も動きを止めた。  その声に最も驚いたのはヤクザ者だ。  裏家業を生業としていれば、一生をかけても謁見する機会さえ与えられないであろうその人こそ、この町の守護者イリエル聖女、本人であった。 「な、なぜ!? こ、こんな所へ……」 「馬車を止められたのです。悪行を働く者が路地裏にいるから助けて欲しい、と」  悪行、その一言に、ヤクザ者が敏感に反応してみせた。 「そ、その通りでございます! 聖女さま! このクソ野……いや、この男がですね、無断で露店を開いていやがったのですよ。けしからんと思い――」 「けしからんと思い、私刑に掛けた、と?」  腰を低くしたヤクザ者の猫なで声にも、聖女は眉一つ動かなかった。ピリピリとした空気を纏い、何者にも侵されないという確固たる意思が、研ぎ澄まされたレイピア剣を思わせる鋭い視線に乗っていた。  その切れ味は、曖昧模糊な言い訳を断つ。  視線で威圧することに掛けてはプロ中のプロであるはずのヤクザ者でさえ、端から見てもわかるほど怖じ気づいた。  彼は続く言葉を失った。  相手が引いたことを感じ取ったイリエル聖女は、威圧のための緊張感を脱ぎ捨てると、かわりに火急に対応するための別種の緊張感を体に巻き付けた。 「今すぐにその場から離れなさい。貴方には追って事情を聞きます。エミュア、リスナ、手を貸して」 「はひ!」  イリエル聖女の背後に居たにもかかわらず、密度の高まった空気に呑まれていた二人の少女が飛び跳ねた。イリエル聖女よりも4,5歳ほど若く、まだ15ほど。聖女見習いという立場だった。
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