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「そんなものおらぬ」
心の中で呟いたはずの言葉に返事が返ってきた。顔を上げると、黒いワンピースの小さな後ろ姿が見えた。
俺と獣の間にレニャが立ちはだかっている。
何してる早く逃げろと伝えようとしたが、口をぱくぱくさせて咳き込んだだけで他に何の効果も無かった。
必死に首を曲げると少しだけレニャの表情が見えた。見上げた彼女の顔に恐怖の色は微塵も無く、笑みを浮かべてさえいた。あるのは興奮と決意の色。
視線は真っ直ぐに目の前の獣を見据えたまま、彼女はにやりと笑った。
「お主、今すぐ死にたくなければわしと契約しろ」
契約? 一体何の話をしているんだ。そう尋ねたいが声は出ない。
「運命はいつでも自分の力で切り開かねばならぬ。祈っても、誰も助けてはくれぬ」
えらく熱のこもった声だった。
「返事が無いのは了承とみなすぞ。何せ今は時間がないからのう」
目の前の獣はレニャを前に脚を踏み鳴らすのをやめていた。しかし相変わらず鼻息は荒くこちらの様子を伺っているようにも見える。体の前面に突き出た人間の腕のような前脚が小刻みに震えていた。
レニャは屈むと仰向けに倒れている俺の脚の間に割って入り、小さな両手で俺の頬を包みこんだ。
上半身をひねって逃れようとしたが胸にズキリと痛みが走る。
何をする気だ。
必死に抗議の視線を送るが彼女は気にも留めない。
「安心するがよい。このために主をここへ呼んだのじゃ」
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