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一瞬、何が起こったのかよく分からなかった。
ナイフの刃が届くよりも先に、獣が咆哮した。前脚の中で気絶しているとばかり思われたレニャが、さっきまでだらりと下がっていた細い腕を獣の胸元に突き立てていた。
獣は苦しみと戸惑いの入り混じったような断続的な呻き声を上げ暴れ回っている。暴走に巻き込まれそうになり、俺は後ずさった。前脚の間でぱちりと目を開けたレニャが喜びとも怒りとも分からないような表情で叫んだ。
「二度とその汚い手で触れてくれるな、獣!」
彼女が両腕を引き抜くと同時に、獣の傷口から真っ黒な血しぶきが噴水のように噴き出した。巨大な獣はまるで仕掛けの糸が切れた人形のように音を立てて床に崩れ落ちる。
解放され、床に降り立ったレニャの右手には、拳大の臓器のような肉片が握られていた。血しぶきと同様に真っ黒なそれは、見る間に細かい塵となって空気中に消えていく。
数秒もしないうちに、獣の巨体と血痕は聖堂の床から跡形もなく消え去ってしまった。
ふいに俯いて立ち尽くしていたレニャが、はっと顔を上げた。そのままじっと何もない空中を見つめている。そして、は、と短い溜息のような笑い声を漏らすと、ぺたりとその場に座り込んだ。
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