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一[しがない天使によるあらましの記述]
一[しがない天使によるあらましの記述]
黒いイナヅマの神は、とにかく暇だ。暇で仕方がないから、イナヅマで人を定期的に殺していた。
白いイナヅマの神はそれを知ると、便箋をよこした。
「いけません、むやみに人の命を奪っちゃあ、いけません。天使長様に言いつけますよ」
天使長に言いつけられるのには敵わない。下手をすれば、現在の役職をクビにされてしまうかも分からない。せっかく登りつめた、イナヅマ神の役職であるから、こうして殺しを繰り返しているうちにいつの間にか『黒い』イナヅマの神と呼ばれるようになっていたとしても、それは避けなければならぬことだ。
黒いイナヅマの神は、おとなしくする他なくなった。
そうすると、暇を持て余す生活に逆戻りする、ということになる。すなわち、苛立ちのはけ口はもうどこにもなく、黒いイナヅマの神は些細なことであたりのモノに怒鳴り散らすようになった。白いイナヅマの神のように、生命を鑑賞しているだけで満足なものであればよかったのだが、黒いイナヅマの神は、とにかく何か刺激がないと生きていけない、困った奴だった。そんな厄介な性格であるから、もう苛立ちは爆発寸前であった。
ただ、そういった危機はひょんなことで救われた。黒いイナヅマの神の部下の天使が、『刺激的なゲーム』を人間界から持ち出してきたのだった。それは、いい刺激になった。黒いイナヅマの神はしばし興奮し、熱中し、そういう類のゲームを買い漁った。そうしてそれも果てに近づいた頃、黒いイナヅマの神は当然ながら、不安を覚えていた。このままでは、また苛立ちの毎日に逆戻りだ。
そんな漠然とした不安を抱えながら、呼び名に似合わぬすっとした指でコントローラーを激しく叩き、画面を刮目していると、久方ぶりに黒いイナヅマの神の部屋のインターホンが鳴ったのだった。ジリジリジリジリと、こんなにもやかましかったかと黒いイナヅマの神は不快に思いながらも、いや、これは暇つぶしの機会を得るチャンスだと思い直し、それならば出てやらない理由はなかった。
「オレを呼ぶのはどこのどいつだ」
「私でございます」
見ると、平凡な男である。黒いイナヅマの神はがっかりして、次第に苛立ち始めた。
「くだらぬ要件であったら、承知せん」
「くだらない? 私の要件は、あなた様の暇つぶしにうってつけなのですがね」
「何?」
黒いイナヅマの神は訝しげに首を傾げる。
「暇つぶしだと?」
気分は、良くない。
「はあ、あなた様を呼び出す術を教えてくださった方です。その方が、イナヅマ神はたいへんお暇であり、それはもう手のつけられないくらいの暇さ加減だ、と」
「ははーん」
なるほど、そういうくだらぬ噂を下界で流す輩があってもおかしくはない。ますます、気分は良くない。
「貴様、殺されたいか」
「ええ、それは望むところです」
「何?」
黒いイナヅマの神は、意外な返答に少々面食らった。
「その前に私、人間という甲斐無い種を絶滅に追いやりたいと考えるものなのです」
なかなかどうして、興味深い話になってきた。黒いイナヅマの神の気分は、徐々に良い。
「その心は?」
「つまりですね……私、世の中に絶望したわけです。何、生きているのに耐えられないくらい、辛いことがあったわけでもなし、人間が心底嫌いというわけでも、実はないんですよ。でもねえ、おかしくってね、必死に生き長らえようとする人間ってものが」
平凡なように見えた男は、実は非凡な思想を自らの内に育てていたらしい。しかし、あまりに突飛でとっつきにくく、第一、あまり意味が理解できない。
「ふうん」
「だから終わらせてあげようと、そう思うわけです。どうせ私のように考えた者は今までにも星の数ほど居たでしょう。そして、これからも……無為に悩む者共を救ってやろうと、そういう訳なのです。いや、私だって、イナヅマ神様とこうしてひょんな機会から巡り合わなければ、星の数と同じように、生きることに違和感を覚えながらおとなしく死んでいったことでしょう。だがしかし、これこそ、神の思し召しというものなのでしょうか、ここで一遍、人類滅びとけ、と、そう仰っられているような気がしてならないのです」
平凡な男は、本当の本当は、やはり平凡であったらしい。人間というものは誰しも自らを悲観すると、この男は言うのだ。それならばこの話にも、多少は頷ける。それに人間というものは、少々思い上がっていると見える。
「面白そうだから、貴様に力を与えんでもないぞ」
「本当ですか?」
男が言い終わるか終わらないかのうちに、黒いイナヅマの神は両掌を男に向け、それもやはり呼び名に似合わず小さな可愛らしい手なのだが、何らかのエネルギーを照射するのであろう、目には見えなくとも、男の様子には明らかな変調が見え始めた。
男は次第に我を忘れたのか、ヌオオオオオと低いうなり声を発し、その体は宙に浮き上がり始めた。空中で背筋を目一杯に反らし、もう一つ雄叫びをあげるとおかしくなったような高笑いを続けて、そのまま地に落下した。
男は目をこすりながら起き上がった。
「うーん」
「どうだ、気分は」
「あれ……私は一体……」
どうやら記憶がとんでいるようだ。ちょびっと力を与えるつもりだったのが、この程度の容量でクラッシュを起こしたらしい。どうにも大きな悪事は期待できそうにない。
「まずは人類滅亡の第一歩として、犯罪組織をつくるのだ! そうして貴様に協力する者共を集める」
黒いイナヅマの神は何か、ドラマか映画か、はたまたヒーローアニメにでも影響されたかのような案を男に押しつけた。
「は、はあ……しかし、私、そういう努力は今までにも続けてきたつもりなのですが、成果はさっぱりで」
「ふん」
「は、鼻で笑いましたか?」
「何、気にすることは無いと言いたいのだ。今の貴様は、もうただの人間ではない。その特別性が他人を惹きつける。つまり、貴様は今、名実ともに『神のしもべ』なのだ」
「! ……なるほど」
この男は心得た。
それからこの男が、黒いイナヅマの神から『ナマステ』という名を与えられて、『黒いイナヅマ団』を結成し地球で暗躍を始めるのに、それほどの時間はかからなかったという。
一方の白いイナヅマの神、我が主も言わずもがな黙ってはいない。が、白いイナヅマの神が行動を開始したのはちと遅かった。そして、そのただでさえ遅いのにもかかわらず、それからたっぷり二年をかけて、『黒いイナヅマ団』への対抗策を練られた。いや、無理もない。白いイナヅマの神は、きっと私の『たっぷり』という記述を訂正するようおっしゃるだろう。天界では、人間界の二年などあっという間なのである。そして同時に、人間界では二年というのはそれ相応の月日を要するらしい。
『黒いイナヅマ団』はますます強大化していた。こうなってくると、白いイナヅマの神のさぞかしのご英断に注目が集まるであろう。では、発表しよう。我が主の英断、それは——
『人間の問題は人間に解決させよ』
意外にも、主はこういう時冷たいのだ。私も以前死人の手続きでトラブルがあった時に……いや、ここで語ることではないな。
とにかく、私からも言わせてもらう。
ここから先は人間たちの問題。いや、元はと言えば私たちの問題、イナヅマ神の問題。が、事の発端は『ナマステ』という男、つまり人間なのだ。彼らの問題は彼らの中でしか解決できないのに決まっている。
だからこそ託そう、この記録を。
血湧き肉躍る理と情の世界を、未知の自己嫌悪と有頂天の浮世を、私たちはじっくり鑑賞するとしようではないか。
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