【序】

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【序】

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  ジジジ……。  規則正しく、時計が未来を刻んでいる。  私はイスに座って目をつぶり、自分がどうしたいのかを考える。  客観的に、現実的に、そして俯瞰的に。  仕事だったら患者の処方箋と愚痴から情報をすくいとって、おせっかいなアドバイスができるのに、自分のことになると一気に思考の精度がさがる。  目をつぶって闇が広がる視線の先にたたずむ少女――これは、学生時代の私だ。まだ17歳で、進学するか就職するか、まだ判断がつかなかった頃。  父は医者、母は病院の事務長、兄は医大の教授へ、妹である私は――。 『季里(きり)は薬剤師に向いているわね』  ミリ単位でこだわる私に母が言った何気ない一言が、まさか黒い芽を出してくるとはその時思わなかった。  自分は薬剤師にならなければならない。そんな強迫観念と息苦しさから、なにもかも捨ててどこかに行きたいと願い、どこへも行けないことに苛立って周囲に八つ当たりをしてきた幼い私。  今の私が彼女に声をかけたとしても、彼女が耳を傾けないことを私は知っている。  強固な殻にこもり、幼稚な反抗心のままに校則を破ってアルバイトをして。 ……そこで、私は。  ピィー。  悲鳴をあげるようにヤカンが音をたてる。  思考を現実に戻して眼をあけると、壁にかけてある時計が19時を告げようとしていた。  そろそろ彼が来る。(さい)は投げられて、私は人生の岐路に立たされる。  どうか、今、私の足元にある地面が断崖絶壁ではありませんように。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
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