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【一】
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「これはなんのお茶ですか? スパイシーで、独特の甘みがあって……」
私に招かれた男――井上 啓介は、私が淹れたお茶を口に含み、ゆっくりと味わって見せた。
手入れの行き届いたオールバック。私より三つ年上だというのに、肌は白くつるりとしていて、着ている服はシンプルながら上質なものだとわかるもの。
静かな所作でカップを皿に置き、向かいに座る私に対して微笑む表情は、垢ぬけていながらどこか懐かしい青さを滲ませている。
知らない人が彼を評価するならば、品よく、育ちがよさそうだと8割の人間が評価するだろう。
「季里さんは確か、料理の温度計を使っているんですよね。おいしいお茶を淹れる秘訣はそれですか?」
だけど、残りの2割の人間は、井上の口調に、表情に、視線に、イヤものを感じる。背筋に冷たい水が落ちる感覚を覚える。
純白の真珠のようにコーティングされて、巧妙に隠されたおぞましい影を直感し、私の務める調剤薬局の同僚たちは彼に心を許すことはなかった。
『営業だから身だしなみは重要だけど、なんだか怪しい』
『生活感以前になんか怖い』
『もしかしたら、バツイチなのかもしれない。二人っきりで会わないほうがいい』
彼女たちはもどかしさに唇を噛んでいた。
命に係わる薬の処方をしてきた彼女たち。薬剤師として研ぎ澄まされた感覚が、この男が危険だと告げている。
しかし、どうしようもない。
井上が危険だと決定づける要素が、直感と印象だけしかないからだ。
契約している製薬会社のセールスマン。それ以上でも、それ以外でもない。外回りのついでに、時々差し入れとサプリメントの試供品を渡してくるが、彼女たちの抱く警戒心が解きほぐれることはない。
「ジンジャーティーですわ。料理は結局、化学反応なのです。時間と数字を守れば確実においしいものが作れます」
私は目を伏せてジンジャーティーを嚥下した。ぽかぽかとした湯気が鼻にかかり、鼻腔がシナモンの香りでいっぱいになる。
味は我ながら満点のできだ。お茶に入れた適量の砂糖とレモンが、すりおろした生姜の刺激を緩和して、爽やかな辛さに昇華してくれる。
「へぇ、しかし、なんでジンジャーティーを?」
「最近、寒気を感じることが多くなりましたので。風邪のひきはじめに良いそうですよ」
主に井上が原因なのだが、言わないでおく。
「あの、それで季里さん。そろそろ返事を聞かせてくれないかな。もしかして、家に入れてくれたことが、答えだったりする?」
その瞬間に、おぞましい感覚が全身を襲った。こみあげる吐き気をお茶で飲み干すことで誤魔化し、視線をゆっくり上にあげていく。
『季里さんのこと、ずっと気になって仕方がないんだ。よかったら、結婚を視野に交際を申し込みたい』
告白された時以上の、生理的嫌悪に襲われて私はなにも言えなくなる。
彼を家に呼び出して、なにをしようとしたのか、一体、どうして……。
井上の黒々とした目が合った。彼の瞳の無明の闇が広がる中で、17歳の私が恐怖で固まり茫然と佇んでいる姿があった。
「いいえ。まず、話を聞いて欲しいのです」
無意識に声が出た。
胸の中のモヤモヤとした霧が晴れて、自分が何をすべきかを自覚する。
これは復讐なのだから。
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