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こんなものだろうか・・・ 川で魚を6匹ほど釣って、手持ちの黒針に突き刺した。 適当に枝を拾い集め、イリーの眠っているはずの桜の元へと戻ると・・・ 「ヤゼン!」 イリーが顔中を涙でぐっちゃりと濡らしながら、俺の元へと駆け寄ってきた。 飛びつくように俺の腰に顔を埋めてしがみついてくる。 突然のことに驚き、何度も瞬きをする俺に、イリーはますますぎゅうっとしがみつき、頬を摺り寄せた。 「ヤゼン勝手にいなくなっちゃ嫌!!イリーを一人にしちゃ嫌!!」 e3c7edbf-598d-474d-afa5-fc05ebc574da どうやら目覚めると一人だったのが心細かったらしい。 ぽんぽんと頭に軽く手を乗せると、イリーが俺を見上げた。 「魚を取りに行っていただけだ。お腹が空いているだろう?」 コクンと頷いたイリーに、離れるように促すが、イリーはしっかりと俺にしがみついたまま頑なに離れようとはしない。 「放してくれぬか?これでは魚が焼けぬ」 それでもイリーは離れようとはしない。 どうしたものか・・・。 考えた後、俺はその小さな手を優しく外し、きゅっと握った。 「手を繋ごう。それではダメか?」 潤んだ目をパチパチとさせると、こくんと小さく頷き、イリーは涙を堪えながらぎゅっと俺の指をつかんだ。 「手、繋ぐ。ヤゼン、絶対放しちゃダメだよ!」 薪を置き、その周りに魚を刺した黒針を刺し並べる。 イリーに少し離れるように促すが、イリーは強く俺の指を握ったまま首を横に振った。 「や!イリー放さない!」 仕方が無いので、イリーを自分の背中に庇うようにして、俺は片手で印を結んだ。 「火遁・火矢の術」 ふっと息を吹きかけると、小さな炎の矢が薪に炎をともした。 「わあ!!」 その術にイリーはひどく喜んで、あれほど頑なに放さなかった手を放し、夢中で小さな手をたたいた。 「すごぉい!ヤゼン、魔術師だったの?!」 かなり違うが、説明するのもややこしいので、ふっと微笑んだだけで俺は何も言わなかった。 焼けた魚をイリーに手渡すが、不思議なものでも見るかのようにまじまじと魚を眺めるだけで、一向に口をつけようとしない。 「どうした?」 覗き込んで聞いてみると、イリーがきょとんと俺を見る。 「お皿は?ナイフとフォークは?」 ・・・・・・は? 俺は必死に微かな知識を探り当てる。 西の人間は、箸を使わず、そのような名前のものを使うと聞いたことがある。 ・・・何を言い出すか。 「そのまま食えばいい」 そう言ってもどうしていいのか分からない様子で魚と俺の顔とを見比べているから、俺は自分の分の魚を食べ始めて、さりげなく食べ方の見本を見せた。 それをしばらくじっと見ていたイリーだったが、小さな口を開いてはぷっとかじりついた。 もぐもぐ食べて飲み込むと、とたんにイリーが目を輝かせて魚を見つめる。 「ヤゼン!!これ、おいしいね!!」 嬉々とした表情で、魚を頬張るイリーを見て、俺はふと思った。 ナイフとフォークとやらを要求するということは、常にそれらを使って食事をしているということになる。 西洋の服のことはよく分からないが、思えばイリーの身につけている服も明らかに高価そうではないか。 おしとやかとは程遠いが、少しずつ食べるこの魚の食べ方といい、仄かに気品が漂っている。 好奇心旺盛で、よく変わる表情と心のままに動く行動がそれを大幅にかき消してしまってはいるが、相当身分の高い家の生まれであるのは安易に予想がついた。 今頃家の者たちはさぞ心配していることだろう・・・。 空を見上げ、陽の高さを測る。 おそらくまだ朝の七時ごろ。 稽古が始まるのは八時。 残り一時間しかないが、この少女が無事家に辿り着くまでは付き添うべきだろうと考えた。 が。 「いやぁ!絶対絶対イリー、お家に帰らない!!ヤゼンと一緒にここにいるー!!」 頑なに家に戻ろうとはしない。 一体何ゆえに其処まで戻りたくないのかと理由を問うと、ぐすぐすと鼻をすすって涙を拭い、少しずつ話し始めた。 「コーニィがお外で遊んじゃダメって言うの。お勉強しなさいってそればっかりなの。イリーお勉強嫌い!全然わかんないんだもん!」 口を尖らせて不平を並べるイリー。 その内容は、嫌いな食べものを残すとコーニィが叱る、言葉遣いが良くないとコーニィが注意する、おしとやかにしなさいとコーニィが・・・・云々。 どうやらコーニィという侍女に不満があるらしい。 実に子供らしいと言うかなんと言うか。 ほうっておくといつまでも言い続けそうだったので、俺はイリーに質問を投げかけた。 「いつもどのような勉強をさせられている?」 「んとねぇ、作法と、算術と、歴史と、ダンスと、外国語と、馬術、魔術、剣術、兵法、帝王学、経済学、政治学、心理学・・・・と、芸術」 作法・算術・歴史はともかく、このような幼い少女に兵法や政治学、帝王学を教えて何になると言うのだろうか・・・。 外界は一体どのような世界だというのだろう。 既に実践に出ている兄上に外の様子を尋ねてみたことがあるが、それほどおかしな世界だという印象は受けなかったのだが・・・。 俺はあえて嫌いな教科ではなく好きな教科のみをきいてみた。 「芸術!特にお歌は大好き!だってね、皆がイリーのこと、褒めてくれるのよ!」 得意の歌を歌ってくれと頼むと、イリーはもじもじと照れくさそうにしながら、目をとじて小さな口を開いた。 紡がれる旋律は聴いた事もない妙なものだったが・・・・ 透き通るような高音。 響き渡る予想だにしなかった美しい声音に俺はしばし我を忘れた。 「ヤゼン?」 不安そうに問いかけてくるイリーに気づき、はっと俺はこの世に引き戻された。 「ヤゼンはイリーのお歌、気に入らなかったの?」 いつまで経っても何も言わない俺の様子をそのように受け取ったらしく、イリーは哀しそうに肩を落として地面を見つめる。 「いや・・・美しかった」 呟くと、ぱっと面を上げて嬉しそうに微笑んだ。 「ありがとう!」 さて、どのようにしてイリーを家に帰らせるかが問題だ。 親が心配しているといっても、イリーは親と共に住んではいないらしく、関係無いもんと拗ねてしまう。 大好きなお菓子ももう食べられなくなると言うと、少しひるんだが、すぐに口を尖らせてそんなの平気だもんと強がる。 このままではここでのたれ死んでしまうと脅すと、瞳を潤ませながら俺にしがみついて言った。 「ヤゼンがいてくれるから大丈夫だもん!」 「イリー、悪いが俺も暇なわけではない。はっきり申すが、迷惑だ」 だんだんイライラしてきた俺が、少し睨んでそういうと、イリーがふえぇと泣き出してしまい、後悔する羽目になった。 「ばかばか!ヤゼンのばかー!!」 ぽかぽかと俺をたたくイリーをなんとかなだめ、俺はため息をついた。 もうそろそろ八時になってしまう。 稽古場に行かねばならぬが・・・・ おそらく無断で外泊したことをひどく叱られる事だろう。 だが、そんなことよりも、兄上と顔を合わせる事が、たまらなく気が重い。 俺は・・・誘惑に負けた。 めそめそ泣くイリーを見ていると、どうしても放ってなどおけない。 たとえ後々大変な仕置きがまっていようとも、今はこの少女に安らぎを感じていたいと思った。 俺は家に帰るようなんとかイリーを説得し、かわりに今日一日だけは一緒に遊ぶことを約束した。 イリーは不満そうだったが、それでも今すぐにここに一人で取り残されるよりはと、素直に頷いた。 「何がしたい?」 イリーの手を引いて立ち上がらせ、尋ねると、イリーはむぅぅっと眉根を寄せて考える。 このような場所での遊び方が思いつかないのか、いつまでたっても答えが返ってこなかった。 とりあえず手を引いて歩き始めると、何も言わずについてくる。 イリーの喜びそうな場所はどこだろうか。 花は先ほどの桜よりも綺麗な場所など無い。 水辺も先ほどの場所で湖があったし、下手に水に濡れるのもまだ寒いだろう。 どうしたものか・・・ だが、手を引いて歩いているだけで、イリーは十分楽しそうだった。 いろいろな花を見つけてはなんと言う名前か尋ねてくる。 蝶々や小動物を見つけては無邪気に追いかけ、蛇を見ては飛び上がって俺にしがみついてくる。 途中、通りがかった川辺で笹舟を作って流すと、イリーは笹舟の作り方をしきりに尋ねてきた。 出来上がった笹舟を嬉しそうに川に流し、俺が小石を投げて跳ねさせると、イリーもイリーもと真似をして投げる。 何度やっても一度も跳ねず、ポチャンと沈んでしまうので、イリーは駄々をこねて泣き出した。 「イリー、投げ方が違う」 ゆっくりと投げ方を見せてから、もう一度俺が投げると、石は水の上を6回跳ねた。 むぅっと口を尖らせて構えるイリーの手を取り、その動きを教えてやった。 「投げてみろ」 えいっと投げた石が一回だけだったが確かに跳ねたのを見て、イリーが大喜びして何度も投げる。 目的もなく歩いているだけで、イリーは十分楽しそうだった。
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