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 夏の盛り、ぬるい風が青田を撫でた。  渇いた道に立つ子供は、ぎゅっと口をつぐむと、着物の端を軽くまくり帯へと挟む。そして、日に焼けた膝と、子犬の様なふくらはぎをあらわにさせると、かがんで草履を脱いだ。  素足が硬い土に触れると、その意外な冷たさに身がしまる。  子供は正面を見据えた。  目の前には、まるで蛇がうねったような百石階段がのびていた。さらにその先には、小さく見える(あか)い鳥居が、小山の上に待ち構えている。  高低差か、鳥居の先に見えたのは青空で、七月にしては薄すぎる雲が、ちらりとよぎった。 「ふーっ、……よろしくお願いもうしあげます!」  子供はひとつ息をつくと、誰もいない百石階段に挨拶をし、駆けだした。 「うーさん、うーさん。あれを見てみろ」 「なんだ、あーさん。おや……子犬かな?」 「子犬とな。うーさんは、なんでも自分の眷属にしてしまう。どちらかと言うと、あの手の握り具合は猫じゃ。それならわしの眷属じゃ」 「あーさんこそ、なんでも自分の眷属に引き込んでしまう。あの走り込み方は、猫の持久力ではない。犬の続きの呼吸だよ。  まぁ……正直どちらの眷属でもないな。あれはどこぞの童だろうか」  神社の静寂を破った、申し出る子の大きな声。  その大声に呼ばれたは、鳥居越しに、百石階段を駆け上がって来る小さな影を見下ろした。  小さな影は大人とは違い、すばしっこい体が無駄に上下に暴れているので、のぼる足元より先に、半身が根をあげそうだ。 「おーい、童。そんなに駆けたら頭を割っちゃうぞ、おっと、いけない。滅多なことは言わぬが吉じゃ。兎にも角にも社は逃げん。急ぐな、急ぐな」 「あーさん、そんな事を言って……。まったく、一々ちょっかいを出すようだから言わせてもらうが」 「おう、言ってくれ」 「わしらの声、人間に届かぬぞ」 「それな」  返した声がからからと笑った。  どちらも若い男の声だ。 「百石階段をのぼってきやる、小さな足で踏みしめやる。……なぁ、うーさん。いい眺めだなぁ、参道を来る人間がいるというのは」 「あんなに騒がしく詣でられても……まぁ、嬉しいな。おっと、三十段でばてたか」 「まだまだ残り七十段。立ち止ってないだけ、いじらしい。だが、ありゃ危ないな。なぁ、うーさん。童の心臓なんぞ、雀ほどもないだろう」 「さて、どうするか?」 「どうにかできるのか?」 「どうにもならん」 「どうにかしてやりたいがなぁ」  声がぽつりと途絶えた。  それからいくばくかすると、ぜいぜいと荒い息がやって来た。    熱っぽい空気に体を当てられ、雨に降られたように汗を滴らせた子供が、一段、一段と石段を上がり、声の元、階段の最上段へと辿り着いた。
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